■節子への挽歌270:時間の癒し
一昨日、安達太良山のことを書きましたが、最後に「もう安達太良山に登ることがない」と書きました。
節子さんと一緒に登ったらいいのに、という人がいました。
節子がいなくなってから、私は娘たちにこう話したようです。
節子と一緒に行ったところは、もう二度と行きたくない。
そして、別の時に、こうも言ったそうです。
節子が行かなかったところには、一人では行かない。
要するに、もうどこにも行きたくないと言明したと娘が言います。
そのいずれもが私の正直な気持ちですが、しかしそれではどこにも行けないことになります。
節子と一緒に行こうと決めていたところがいくつかあります。
その一つが、安達太良山でしたが、ほかにもあります。
たとえば、山形の山寺です。
山形市にはよく通っていましたので、山寺に行くチャンスは何回もありましたが、ここはぜひとも節子と一緒に参拝したいと思っていたのでずっと避けていました。
節子がいなくなったいま、もう行くことはありませんので、今生ではついに行けずに終わるでしょう。
おそらく行けば、辛い思いをすることになるでしょう。
まあ、来世があるでしょうから、どうということはありません。
でも節子さんはあなたの心身に一体化していて、一緒に行きたいと思っているかもしれないという人がいます。
最近、そうかもしれないなと思うようになってきました。
これが「時間の癒し」でしょうか。
時間が癒すことなど絶対ないと断言していましたが、最近は少し揺らいでいます。
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