■節子への挽歌253:「愛する人を亡くした人へ」
長いこと、机の上に置かれていた一条真也さんの「愛する人を亡くした人へ」を読みました。
昨年の7月に発売された本ですので、1年近く、私の机の上に乗っていたわけです。
なかなか読めずにいましたが、漸く読む気になったのです。
せっかく一条さんから贈ってもらったのに、読めなかった一因は、書名でした。
「愛する人を亡くした人へ」と一括して語られることへの違和感でした。
愛する人との別れ方には深い表情がありますし、当事者にとっては聖域な世界ですから、外部からの言葉はすべて虚しく響くことが多いのです。
しかし、語られないと、さらに虚しく、そこはいろいろ複雑なところです。
読み始めた時には、違和感をもったらすぐ読むのをやめようと思っていました。
ところが、読み出してみたら、自然と読み進められ、結局、一気に読んでしまいました。
全く違和感がなかったわけではありませんが、読み終えた後、ホッとした気持ちが残りました。
一条さんの世界は、ある程度、理解していますので、文章の一つひとつの意味や位置づけも伝わってくることもあり、それで自然と受け入れられたのかもしれません。
本書の帯に、「さみしさ」という深い闇の中で月明かりに導かれているような温かさを感じました。と書かれていますが、言葉はともかく、そんな感じです。
穏やかに読めました。
ところで、本書の中で、一条さんは、
配偶者を亡くした人は、立ち直るに3年かかる。
と書いています。
一条さんの経験則でしょうから、間違いない話です。
どうやらまだ立ち直れる時期には達していないようです。
なにか奇妙にホッとしました。
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