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2008/05/04

■庶民物価発想

先週金曜日の報道ステーションは、相次ぐ生活必需品の値上げを取り上げていましたが、そのなかで山田昌弘さんが「庶民物価」と言う表現を使っていたような気がします。
ネットで調べたのですが、確認できないので間違っているかもしれませんが、たしか山田さんの発言だったと思います。

物価に関しては一般には消費者物価指数が基準になりますが、これが曲者です。
さまざまな商品価格の統合指数ですから、その設計の仕方でかなり変ってきます。
最近の指数は、時代に合わせるために、平成17年度に商品構成などの見直しがされていますが、すべての統計がそうであるように、指数には必ず設計者の意図が入り込んでいます。
私の感じでは生活起点というよりも、生産起点、金融起点で設計されているように思います。

平成5年以来、安定していた消費者物価指数は、それでも最近は上昇基調になっています。
今年の3月の速報値でも前年比1.2%の上昇です。
庶民感覚とはちょっと違った水準です。

生活という視点で考えると、世の中には2種類の商品があります。
すべての人にとっての生活必需品とそうでないものです。
山田さんは、庶民物価という捉えかたを主張されていました。
私も全く同感です。

生活者にとって大切なのは、パソコンの価格ではなく、毎日の生活に欠かせない食材や電気代、水道代です。
地方の人にとっては、ガソリン代も入るかもしれません。
消費者物価に大きな関心を持つ人は、それがなければ生活が成り立たないものの価格が問題です。
パソコンや大型テレビが値下がりしても、ほとんど関係はありません。
しかし、いまの消費者物価指数は生活必需品とそうでないものが混じっています。
ですから生活者の値上がり感覚といつもずれが出てきます。
そして経済政策は、そうしたいろんなものが総合された消費者物価指数の上につくられるわけです。

企業価格指数というものがありますが、なぜか生活必需品価格指数はありません。
定義が難しいからかもしれませんが、庶民の生活感覚を前提にした庶民物価指数を考えるのはそう難しい話ではありません。
2~3日もあれば、私でもつくれるでしょう。
だれかが試算しているかもしれませんが、ネットで見た限りでは見つかりませんでした。

生活優先を標榜するのであれば、先ずはそうしたところから出発すべきです。
この区分は消費税の設計にもつながっています。
日本ではすべての商品やサービスに一律の消費税がかかりますが、国によっては生活必需品には消費税がかからなかったり低率になったりしています。
日本の消費税議論は常に一律ですが、それを改める必要があると思います。
すべての人が生活に必要な商品に関しては、消費税をかけるべきではなく、そうでないものにはむしろ20~30%の高率の消費税をかけるべきです。
生活起点で考えるということは、そういうことではないかと思います。
道路建設も生産起点で議論している限り、何も変らないでしょう。

最近の日本は累進課税社会ではなく、逆累進課税社会になってきています。
長い歴史のなかで培ってきた「支え合い」の文化が、いつの間にか壊されてきてしまっています。
その結果が、後期高齢者医療かもしれません。

生活の視点から、改めて制度や政策を考え直すべき時期に来ているように思います。

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