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2008/05/08

■黒いスーツのイニシエーション

先日、久しぶりに大学の行ったのですが、Tシャツの若者が多い中で、黒のスーツに身をかためた学生が何人か目に付きました。
不思議に思って聞いてみると、就職活動のためのマナー研修があるのだそうです。
それにしても男性も女性も、いずれも黒いスーツです。
どうしても喪服を想像してしまいます。

若い人たちの通勤服は、最近は黒一色になってしまった気がします。
娘になんでみんな黒ばかり着るのだろうと話したら、葬儀などの場でも使えるように最初のスーツは黒なのだそうです。
やはり喪服だったわけです。

カラフルで個性的な服装を楽しんでいた若者が、就職と同時に黒一色になる。
軍服と同じく、黒いスーツを着ると従順になるのでしょうか。
いえ、従順になる代替行為として、つまり自らの個性を葬る証として、黒いスーツを着るのでしょうか。
まさに黒いスーツは、イニシエーションの装束なのです。
どこかで何かが間違っているような気がしてなりません。

子どもの頃(昭和26~27年頃)雑誌で読んだ、佐藤紅緑(サトウイチローの父)の小説に、「日本人はふんどしをやめて、ネクタイをするようになってからだめになった」というような文章がありました。
佐藤紅緑は昭和24年に亡くなっていますので、私の記憶違いかもしれませんが、その文章がなぜかその後ずっと頭に残っています。
締めるところを間違っているというわけです。

ネクタイに加えて、黒いスーツ。
電車の中でも黒いスーツ姿の人が増えてきました。
時代の気分がみんなに喪服を着せてしまっているのでしょうか。
社会の終焉が近いのでしょうか。

ちなみに、黒は偽装の色ではないかと私はずっと思っています。
心を込めた葬送の色にはふさわしくありません。

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