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2008/05/11

■節子への挽歌252:お守りとしての「節子」

対象喪失に関係することをもう一度書きます。
対象喪失について、言葉の意味を確認しようとネットで調べていたら、あるサイトに次のような記事が出ていました。

対象喪失を受けとめることは難しい。合理主義を生みだしたデカルトでさえ、夭逝した娘のフランシーヌにそっくりの人形をこしらえてトランクに入れて持ち歩いたという(種村李弘『幻想のエロス』河出書房新社)。スウェーデンへの船旅の途中、デカルトが船室でまるで生きた娘を相手にするかのように人形に話しかけているのを覗き見た船長は恐怖から、留守中に人形をトランクごと懐中に投じてしまったという。
愛する人形を「喪失」したデカルトはどうしたのでしょうか。
興味があります。
実は私も節子の遺品を毎日肌身離さずに持ち歩いています。
時々、どこかに置いたまま忘れてしまうこともあって、探し回ることもありますが、小さなものなので、たいていはポケットかまたは首からかけています。
誰にも見せたことはありません。
デカルトと違って話しかけることはありませんが、念じることはあります。
念じると、その「節子」は私にエネルギーを送ってくれます。
まぁ要するに「お守り」なのです。

節子はいまや私にとっては「守護神」のような存在なのですが、
実は「愛する人」とは「守護神」なのかもしれません。
信仰とは神や仏を愛することです。
その愛の力が生きる力を与えてくれるわけです。

最近の社会の不幸は、そうした「愛する対象」が見つけられないことなのかもしれません。
不幸な事件が頻発していますが、そのほとんどの後に「愛の不在」を感じます。
私が幸せだったのは、節子という愛する人に出会えたからです。

もしみなさんが、まだ愛する人にめぐり会えていないとしたら、早く見つけることをお勧めします。
愛する人を見つけるのは簡単なことです。
愛されるのとは違って、誰かを決めて愛すればいいわけですから。
不倫になるのは避けたほうがいいですが、そうでなければだれでもいいのです。
近くを彷徨している野良猫でもいいでしょう。
だれであろうと、愛していると愛されるものです。

みんながもっと気楽に愛する人を決めて行けば、
きっと社会は平和で豊かなものになるはずです。

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