■死刑制度論余波
昨日書いた死刑制度反対論への「転向」に対して、早速メールが来ました。
概要、こんな内容です。
私は死刑制度をもっと強化すべしというかんがえです。私は現在の自動車運転制度には反対です。
原則として人を殺せば一人でも死刑の対象とする。
重大な過失がある場合は死刑もありとします。
殺したように殺されるべき、だとすら思います。
見方を変えて死刑廃止、となったらしいようですが、奥さんが殺された人のことを改めてお考えください。
誤審による悲劇はどんなに配慮してもなくならないでしょう。
これはやむを得ないものとして受け入れるべきで、我々は、すでに自動車が交通事故で年間1万人以上死ぬことがわかっていても自動車産業を廃止しようとはしていないでしょう。
自家用車を乗り回している人が死刑廃止を言う資格はありません。
もちろん、自分は死刑の執行人にはなれないということには論理矛盾はありませんが。
結論を急いではいけません。
飲酒運転など一度でもすれば、永久免許停止などは当然の話だと思っていますし、自動車関連税はもっと高くていいと思っています。
環境対策のためにガソリン税を高くていいと言う人もいますが(ガソリン税は環境悪化のための道路建設に使われますが)、それよりも人命保護のための自動車関連税を高めるべきです。
それができない理由は、明白です。
トヨタの奥田さんが政府と癒着していることがすべてを物語っています。
自動車産業が悪いとはいいませんが、今の状況は最悪です。
経団連としてやれることがたくさんあるのに、自動車に関しては誰も何もやりません。
念のために言えば、上記の「自動車が交通事故で年間1万人以上死ぬ」とありますが、これはおそらく事実に反します。
おそらくといったのは、統計は必ずしも正しくないからですが、しかし最近は実際にも1万人は超えてはいないでしょう。
そんなことは瑣末な話です。
直接的には死亡に至らない事故も考えなければいけません。
120キロ以上スピードが出ることも私には理解できません。
スピードが出るようにしておいてスピード違反を罰するのは私には理解しにくいです。
自動車産業の発展が大きく歪んでいるのは否定できないように思います。
それが内部管理にも出ているはずです。
産業や企業の健全性は、産業内や企業内の実態を見ればほぼわかります。
人の行動がそうであるように、組織もまた、内外は通じているからです。
「奥さんが殺された人のことを改めてお考えください」とありますが、そうした発想はいささか危険です。
私は昨年妻を病気で亡くしましたが、その気持ちはおそらく誰にもわかりません。
わかるという人もいますが、何がわかるのかという気もします。
受け止め方は人それぞれです。
奥さんが殺された人の気持ちなどわかるはずがありません。
それをわかると考えてしまうことこそ、危険な発想なのです。
なかなか死刑制度の話につながらないのに長くなってしまいました。
この短いコメントにたくさんの示唆が込められているわけです。
ちなみに、このコメントをくれた人の善意は微塵も疑っていません。
死刑制度の話はまた日を改めます。
このメールのアドバイスにもかかわらず、いまはまだ死刑制度反対のままです。
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