■節子への挽歌249:カタカムナの「サヌキ」と「アワ」
昨日、愛と怒りについて書きましたが、ちょうどその記事を書いた後、カタカムナに通じている椎原澄さんがやってきました。
カタカムナに関しては、CWSコモンズのほうで書こうと思いますが、かつて日本に存在したとされる超古代文明です。
椎原澄さんが「サヌキ」と「アワ」の話を持ち出しました。
これはカタカムナの世界ではキーコンセプトの一つなのです。
私がカタカムナに関心を持ち、本を読みかじったのは1980年前後だったと思いますので、もうかれこれ30年前です。
久しぶりに出会う言葉です。
これについて書き出すときりがありませんが、簡単に言うと、人のもつ本性として、「サヌキ」と「アワ」があり、「サヌキ」は直進的、攻撃的、能動的、論理的であり、「アワ」は総合的、受容的、受動的、感性的といった特徴があるというのです。
かなり不正確な説明ですが、サヌキとアワが組み合わさるととてもいい動きが出てきます。
ソニーの盛田さんと井深さん、ホンダの本田さんと藤澤さんの組み合わせは、まさにその好例です。
ただ、その組み合わせは上下関係や主従関係ではないのです。
そこがポイントです。
その組み方と関係性が、昨今はたぶんおかしくなってきているのです。
とまあ、そんな話をしたわけですが、実は椎原澄さんのパートナーは椎原正昭さんといい、けたたましいほどの個性的なサヌキ人でした。
節子と同じく、昨年、逝ってしまったのですが、椎原夫妻はカタカムナを初めとした、そうした世界に通じていました。
私は椎原夫妻がカタカムナに通じていることを知りながら、きちんと議論したことはありません。
この種の世界に通じている人は私の周りには少なからずいるのですが、先日書いたように、私自身はそうした人と話し合うのを意図的に避けてきたからです。
今日は、しかしついつい椎原澄さんの挑発に乗ってしまい、少しだけ議論してしまいました。
この種の話は議論すべきことではなく、観ずることなのです。
悔やんでいますが、終わったことは仕方がありません。
椎原さんは、私の本性は「アワ」だと考えているようです。
たしかに私と節子で言えば、節子がサヌキ性が強く、私はアワ性が強いように思います。
椎原さんと話したのは、カタカムナだけではありません。
怒りと愛の話題も出ました。
そのことを書くつもりが、サヌキとアワの話になってしまいました。
ちなみに、余計な話をすれば、
サヌキとアワは、四国の「讃岐」と「阿波」、千葉の「佐貫」と「安房」というように、各地の地名の組み合わせにも出現しています。
土地にはさまざまな磁力(地力)が埋もれています。
それはもしかしたら、未来の記憶なのかもしれません。
今日もまた「挽歌」らしからぬ内容になってしまいました。
サヌキ族の節子は、こういう非論理的な話はあんまり好きではありませんでした。
きっと来世は、私と節子は性別を逆転していることでしょう。
そうなれば現世よりも、もっと理想的な夫婦になれることは間違いありません。
節子が私を選べばの話ですが。
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