■節子への挽歌268:節子と一緒に車えびのフライを揚げましたね
節子
あなたは山口県の東さんに会ったことがなかったのですね。
今日、初めて知りました。
我孫子まで献花に来てくれた東さんが、あなたの写真の前で、一度、お会いしたかったと言ってくださったからです。
節子は実にたくさんの人たちから支えられていました。
東さんも、節子にたくさんの元気を贈り続けてきてくれた一人です。
東さんからのお薦めのサプリメントを飲まずにいたら、ある時、ドサッと送ってきてくれました。
いろいろな人(私も含めて)からのお薦めを受けていたので、節子はそんなにたくさんサプリメントは飲めないと言っていましたが、それ以来、節子は東さんの送ってきてくれたものを飲むようになりました。
それだけではありません。
私は、料理は不得手で、したことがほとんどありません。
少しは料理もできるようにならなければと、節子は私に料理を教えようとしました。
節子は自分がいなくなっても私が困らないように、いろいろなことを教えようとしていました。
それをそのまま受け入れると、節子がいなくなってしまうようで、私は真面目には学ぼうとしませんでした。
そのことは今も後悔してはいませんが、もっと一緒にいろいろやればよかったとは思っています。
節子がまだ少しだけ料理ができる頃、東さんが活きた車えびを送ってきてくれました。
節子が私にエプロンを渡し、やり方を説明するから一緒に油で揚げようと言うのです。
私がエプロンをすると、めずらしいことだと、娘が写真を撮ってくれました。
それが私と節子との初めての、そして最後の料理ツーショットになりました。
(写真を掲載すると節子に怒られそうですが、小さく載せます)
そんなこともあって、私たち夫婦は、時々、東さんの話をしていましたから、てっきり東さんは節子と会ったことがあると思い込んでいたのです。
でも会ったことがなかったことを今日、初めて知りました。
にもかかわらず、東さんは本当に節子や私のことを応援してくれています。
ご自身も病気で身体が少し不自由になってしまったのに、わざわざ我孫子まで来てくださったのです。
東さんが帰った後、いろいろと昔のことを思い出しました。
私たちの人生は、ほんとうにたくさんの人たちに支えられているのです。
最近、自分のことしか見えなくなってきているのではないかと、反省しました。
節子
やはり私も自立しないといけませんね。
せっかくの遠来の友に、今日は何もおもてなしできなかったことを悔やんでいます。
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