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2008/05/13

■死刑について5:由比忠之遺さんの自死

もう一度、続けてしまいます。死刑の対極にあるのが自死かもしれません。
国家による殺人に対して、自らによる殺人ですから、執行者はたしかに対極にあります。
しかし、対象者はいずれも個人、しかも社会から外れて(外されて)しまった個人です。
その視点から考え直すと、直接の執行者の後ろに共通なものが見えてきます。

これもまた重い問題であり、正面から立ち向かえそうもないのですが、先日お会いした椎原澄さんがブログに書いたと連絡をくれていました。
澄さんのブログとはリンクしていますので、勇を鼓して読んだのですが、読み終わった後、頭が白くなってコメントできませんでした。
もし皆さんに余裕あれば、私に代わって読んでコメントしてやってください。

辺見庸さんの「いま、抗暴のときに」を読んでいたら、さらに刺激的な文章に出会ってしまいました。
1967年、当時の佐藤首相に対する抗議のために焼身自殺した由比忠之遺さんの話です。
由比さんの抗議文の一部が、掲載されていました。

佐藤首相に死をもって抗議する。(中略) 
ベトナム戦争で米軍は南北ベトナムの民衆に対して悲惨きわまる状態を作り出している。この米国に対して圧力をかけられるのはアジアでは日本だけであるのに、圧力をかけるどころか、北爆を支持している佐藤首相に私は深いいきどおりを感じる。私の焼身抗議がムダにならないことを確信する。

この事件に関して、大宅壮一さんは当時、こう書いたそうです。

「由比老人の抗議文の内容は、現在日本人の大多数が痛切に感じていることばかりで、いわば国民の常識であり、良識である。それを″焼身自殺″という異常な形で表現した由比老人の役割を私は高く評価するものである」
「現代人にもっとも必要なことは、だれもが常識と認めていることを行動にうつす勇気である。あえて『由比老人につづけ』とはいわぬが、そういった意味でこの老人の死をムダにしてはならぬと思う」

自死とは何でしょうか。
暴力手段を国家に取り上げられた状況の中で、暴力を奪還する手段は自死しかないのでしょうか。
今もなお、中近東では自爆事件が続いています。

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