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2008/05/30

■クラスター爆弾を持っていることの是非

クラスター爆弾全面禁止に日本も合意する方向に動き出しました。
私には当然過ぎるほど当然なことなのですが、国家防衛の視点からは異論もあるようです。
クラスター爆弾禁止に異論を持つような「国家防衛」とは、いったい何なのだろうかと思いますが、「防衛庁の常識」ではその異論もまた当然なのでしょう。

狭い世界に閉じこもっていると常識は恐ろしいほどに特殊化するものです。
船場吉兆と防衛庁は同じような状況なのだろうと思います。
いえ、防衛庁に限りません。
ほとんどあらゆる組織が、そうした状況に陥る必然性を持っているのです。
社会の組織原理そのものから見直すべき時期にきています。
組織は「閉じるもの」ではなく、「開くもの」というパラダイム転換が必要です。

ところで、私自身は、クラスター爆弾を現在自分の国が持っていること自体に大きな違和感があります。
憲法9条とはいったい何なのか。

私の知人が大麻を所持して逮捕されました。
大麻とクラスター爆弾と、どちらが危険でしょうか。
そういう問題ではないといわれそうですが、なぜそういう問題ではないのか、みなさん、考えたことはありますか。
私たちは、もっとすなおな疑問を持ち続けるべきだろうと思います。

私はひ弱な人間なので、争いは好みませんが、そのひ弱さをカバーするために武器を持ちたいとは思いません。
自分の家に拳銃や爆弾は持ちたくはありません。
第一、そんなことで私の家族の生活が守られるはずがありません。
警察官にさえ、拳銃を持ってほしくないと思いますが(持っていても多分有害無益なだけでしょうから)、自衛隊にも武器は持ってほしくないです。
武器が抑止力になり時代は終わっていますし、仮に抑止力になるとしても持つべきではないと私は思います。
クラスター爆弾を持っている政府に統治されているのかと思うと、ぞっとします。

クラスター爆弾と憲法9条。
日本は不思議な国です。

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