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2008/05/14

■死刑について6:光市母子殺害事件と死刑制度

さらに続けます。もう付き合いたくないと思われるでしょうが、私も早く逃れたいです。

光市母子殺害事件での弁護団の活動は、死刑制度への抗議だといわれます。
それが、彼らの行動の大義になっていますが、それこそ偽装行為ではないかと怒りを感じます。
なぜもっと堂々と取り組めないのか。
彼らの言動は、同時代人を愚弄する恥ずべき行為だと断じます。
被害者の本村さんの姿勢に比べて、その小賢しさと卑劣さは不快です。
彼らこそ、死刑制度に寄生し、言葉とは裏腹に死刑制度に正統性を与えているのではないかとさえ思われます。
法と権力で身を固めて、何が死刑制度廃止だといいたいです。

嘘のない、平安な世界がくれば、自ずと死刑はなくなります。
彼らのような、目線の高い良識のない「有識者」もどきが、世界の平安を崩しています。
しかも、そうした論外の論理をもてあそぶ弁護士を正す弁護士仲間は、ほとんどいません。
みんな結託しているからでしょうか。
制度や組織や職権、有識者は、そういうかたちで支えられています。

このシリーズに何回か出てきている辺見庸さんは、死刑制度反対です。
戦争に反対して死刑に反対しないのはおかしいと書いています。
論理的に考えれば、全くそうです。
死刑は憲法違反だとも書いています。

にもかかわらず、まだ私は死刑制度反対にはなれずにいます。
なにも生命を奪うことはなく、終身刑でいいのではないかと頭では思うのですが、一昨日書いたように、終身刑もむごさのわりには、被害者遺族にとっては、満足できない話でしょう。
未来の有無は、むごさ以上の意味を持ちますから、被害者にとっては加害者の生存は時にむごい状況を生み出す可能性があります。

自分の問題として考えれば、答はかなり明確です。
私の場合、愛する人を殺害した犯人には死を求めたくなると思います。
もし私もしくは愛する人が人を殺害した場合はどうでしょうか。
私の場合は、おそらく自死を求めます。
人を殺めることと人に殺められることは、同じような気がします。
いずれも、生命のつながりからの自らの離脱だからです。
他者には死刑を、自らは死刑ではない自死を、というわけです。
明らかに論理矛盾です。

答は出そうもありません。

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