■節子への挽歌244:ろうそくの炎に人間の魂が宿るのは本当ですよ
篠栗の記事(挽歌236)を読んで、冠婚葬祭関係の会社社長でもある佐久間さんからメールが来ました。
ロウソクの炎に人間の魂が宿るのは本当ですよ。炎は微妙なエネルギーに見事に反応することは、私も幾度か経験しています。
日々の葬儀の中で、何度も経験しております。
節子が逝った朝、すぐに駆けつけてくれた市川覚峯師の護摩炊きに2回、参加させてもらいました。
目の前で動く炎の中に、不動明や菩薩を認めることは出来ませんでしたが、生命力を持ったように躍動する炎にはメッセージを感じました。
高野山で断食行をしていた覚峯師の満行の日に、節子と一緒に宿坊を訪ねたことがあります。
翌朝、まだ真っ暗な早朝に、覚峯師は護摩を焚いてくれました。
その頃は、私自身まだ不動明王のパワーを受容するだけの備えがありませんでしたが、燃え上がる炎には感動したことを覚えています。
節子はその時、どう感じていたのでしょうか。
ろうそくの炎は、もっと純粋に揺らぐように思います。
私は日に3回は、節子の位牌の前で灯明を点けます。
もっとも5分間ろうそくや1分間ろうそくですので、わずかな炎しか上がりません。
いつか金居さんが和ろうそくを持ってきてくれましたが、和ろうそくの炎には観ずるものがあります。
今回、このメールをもらって久しぶりに和ろうそくをあげさせてもらいました。
今日は大きな変化はありませんでしたが、ろうそくの火を見ているととても不思議な感覚になります。
10年ほど前にイランで節子と一緒にゾロアスター教の遺跡に行ったことを思い出しました。
火は宗教の起源に大きく関係しているように思います。
わが家は小さな仏壇なので、和ろうそくはなかなか使えませんが、これからは月命日には大きなろうそくで灯明をあげることにします。
いつかきっと節子は反応してくれるでしょう。
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