■節子への挽歌262:節子が残した生活文化
昨日、お弁当の話を書きましたが、節子が残した文化はそれだけではありません。
この頃、つくづく「節子の文化」がわが家にはいろいろと残っていることを実感しています。
節子が元気だった頃、もっともっと素直にその「文化」の価値を認めればよかったと少しだけ反省しています。
節子は片付けるのが下手でしたので、自分の机や鏡台はいつも雑然としていました。
あまりにも気になって、注意すると「あなたの部屋よりきれいですよ」と反論されました。
私のは「整然」と散らかっているだけで、決して「雑然」ではないので、この反論は半分は誤りで半分は正しいのですが、間違いなく節子のほうが片づけが不得手でした。
しかし、それにもかかわらずきれい好きなのです。
病気になってから、特にその傾向が強くなり、廊下などが汚れていると辛いだろうに自分で掃除機をかけるのです。
私は掃除を分担するといいながら、まあ適当でいいだろうといい加減にしか対応しませんでしたが、節子はきっと不満だっただろうなとこの頃とても後悔しています。
その罪滅ぼしに、最近はできるだけていねいに掃除をしていますが、娘からはまだまだダメだと怒られています。
しかし、節子のおかげで、いまもわが家はそれなりに整理整頓されてきれいです。
いえ、節子がいた頃よりも間違いなくきれいです。
掃除のことを書いてしまいましたが、ほかにも節子が残した文化だねと娘たちと話すことが少なくありません。
良いものもありますが、悪いものもあります。
しかし、私は良いとか悪いとか関係なく、節子が残した文化はみんな好きです。
そして気が付いてみると、自分がその文化(生活のスタイル)になっているのです。
節子がいた頃は、批判的だったものや理解できなかったものまで、いまや私の生活スタイルになってきています。
やはり私の中に、節子が入り込んできているのでしょうか。
最近、頭の働きが悪くなったのも、もしかしたそのせいかもしれません。
いやはや困ったものです。
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