■節子への挽歌257:1年前のことを思い出すと気分が揺れ動きます
節子
一度、気持ちを切り替えて活動を再開しようと決めましたが、なかなかうまくいきません。
活動は再開しているのですが、どうも1年前のことに引き戻されてしまうのです。
1年前の生活は、あまりにも生々しく私の心身に刻み込まれています。
思い出さないでしようと思っているのですが、必ずと言っていいほど毎日、節子を思い出してしまうことに出会います。
昨年の今ごろは、節子と完全に生活を共有していましたから当然といえば当然です。
目を外に向けようと思っても、どこにでも節子の姿が見えてしまいます。
本当に私たちは人生をシェアしていたことを痛感します。
娘たちは、親を超えて生きていけるのでしょうが、伴侶には難しいことです。
伴侶と死別して、10年近くたつのにまだ思い出して仕方がないという人の気持ちがよくわかります。
先日、献花に来てくれた升田さんが手紙をくれました。
「お家もお庭も心を込めて作られていて、節子さんはこのようなお方であったのだと、深く感じながら過ごしておりました。」
こう言ってもらえるととても安堵します。
確かに、今のわが家は節子が基本的な方向づけをしてくれたのですから。
しかし、初めてのお客様でさえ、そこに節子を感ずるのですから、私がどれほど深く感じてしまうかは推して知るべしです。
家には主婦の「いのち」がこもっています。
どこもかしこも、節子でいっぱいです。
これから数か月、昨年の記憶がよみがえってきそうでとても不安になります。
最近また、毎日、気分が揺れ動くようになってきてしまいました。
困ったものです。
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