■節子への挽歌265:食べ残したバナナはどこにいったのか
節子
ちょっと不思議な、でも全くナンセンスな話です。
よほど暇な人だけ読んでください。
最近、夜中におなかが減るので、枕元にバナナを置いています。
夜中に目が覚めることが多くなったせいかもしれません。
闘病中の節子も、枕元にバナナやヤクルトを置いていました。
一度に多くを飲食できないので、ヤクルトも2~3回に分けて飲んでいました。
少量なので一気に飲めばいいのにと思っていましたが、最近、私もそうなってきました。
まるで節子のようだと思いながら、就寝前にヤクルトを半分飲んだりしています。
真夜中に目が覚めて眠れない時、何かを口にすると眠れることもあります。
行儀が悪く、褒められた話ではないのですが、節子と同じだなと思うとなぜか心が落ち着きます。
ところで、昨夜の話です。
2時過ぎに目が覚めてしまいました。
電気もつけずに手探りで枕元のバナナを半分に折って、寝ながら食べてしまいました。
そしていつの間にかまた寝てしまっていたのですが、朝起きて、残りのバナナを食べようとしたら、どこにもないのです。
食べたバナナの皮だけが残っていました。
食べかけのバナナがどこかに紛れていると困ると思い、布団をあげて探してみましたが、ありません。
無意識にバナナを全部食べたのかもしれないと思い、残っていたバナナの皮をつなげてみましたが、やはり一本にはなりません。
頭が混乱してしまいました。
みなさんならどう考えるでしょうか。
天才的な私は、すぐに解決できました。
そうか、節子が残りを食べてしまったのだ、と。
それで一件落着、のはずでしたが、
少しして気がつきました。
節子は皮まで食べてしまったのだろうか。
そこでもう一度、ベッドの周りを探してみましたが、やはりありません。
この謎を説明する方法は3つです。
(1)節子が皮まで食べてしまった。
(2)私が呆けてきて皮まで食べてしまった。
(3)最初からバナナは半分しかなかったことを私が忘れていた。
どれが一番合理的でしょうか。
私が呆けるはずがありませんから、正解は(1)なのです。
彼岸ではバナナは皮まで食べるようです。
食糧事情は彼岸もあまりよくないようです。
自給率も低いかもしれません。
それで今朝は、節子に食べるものをたくさん供えました。
いや、もしかすると、私が呆けはじめたのでしょうか。
そんな気もしますね。
いやはや困ったものです。
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