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2008/05/10

■節子への挽歌251:対象喪失

「対象喪失」という言葉があります。
「自己にとって重要な対象を失うこと」ですが、その最も大きなものは「愛する人を失うこと」でしょう。
愛する人を失った悲しみと絶望が、生きる力を弱め、病気を引き起こし、死を招くことは、医学的にも認められていることだそうです。
伴侶を亡くした人の死亡率は、死後半年間、40%以上高くなるという調査もありますし(54歳以上が対象)、もっと顕著な差を主張しているデータもあるようですが、いずれにしろ対象喪失すると生きる力が弱まるようです。
書物などによると、1年がどうも危険状況で、1年を越すと大丈夫のようです。
私の場合、まだ1年はたっていませんので、まだ危険領域にいるわけです。

愛する人を失うことがどれほど「生きる力」を低下させるかはよくわかります。
生きていることすら億劫になるのです。困ったものです。
私の場合、その気分からはまだ抜け出られずにいます。
娘たちがいなければ、深みにはまっていたかもしれませんが、彼らが私に力を与えてくれているので、まあ元気なのです。

愛する人を失うことが生きる力を失わせるということは、「愛する人」が生きる力を与えてくれているということでもあります。
このことは、「愛すること」が生きる力を与えてくれると言い換えてもいいでしょう。
生きる力の源泉は「愛すること」なのです。

ところで、「対象喪失」ですが、「喪失」とは何でしょうか。
存在しなくなるということでしょうか。
実は昨夜、そのことが気になりだしたのです。
私にとって愛する対象は「節子」です。
節子は現世からは旅立ちましたが、私の愛が終わったわけではありません。
私はまだ節子を愛していますし、今も毎日、位牌の前で、また会おうねと話しかけています。
そうであれば、私にとっては今なお、愛する人はいるわけで、対象喪失には当てはまらないことになります。
そう考えれば、生きる力が弱まることもないでしょう。

愛する人を失ったのではなく、愛する人に会えなくなっただけの話です。
愛することが生きる力の源泉なのであれば、会えなくなってもずっと愛し続けていけばいいのです。
やっとそのことに気づきました。
これで今日から、また私の生命力は強靭になりました。
たぶん、ですが。

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