■節子への挽歌245:喜怒哀楽を共有できることの幸せ
時々、あることが気になってしまうことがあります。
たとえば、今日気になったのは、節子は十分に笑いきっただろうか、ということです。
手をつないで歩いてくる若い夫婦に出会いました。
とても気持ちがほのぼのしてきます。
節子と手をつないで歩いた頃を思い出しました。
手をつないで歩ける時に、みんなもっともっと手をつないで歩いてほしいです。
言葉は聞き取れませんでしたが、2人が笑い出しました。
とても楽しそうでした。
それを見て、突然に「節子は十分に笑った人生だったのだろうか」と思いました。
私たち夫婦は、感情をお互いに出しあう夫婦でした。
できるだけ喜怒哀楽を共有したかったのです。
夫婦喧嘩もよくしましたが、私にはそれもまた「怒りの共有」の一時でした。
節子と喜びを共有したのは、医師から見放された娘が奇跡的に回復した時でした。
医師の誤診で急性肺炎への対処が遅れたのです。
私たちが、死に直面した最初の経験でした。
何日か病院に寝泊りしましたが、その時にもしかしたら節子は自らの生命を天に預けたのかもしれません。
節子と怒りを共有したのは何だったでしょうか。
あまり思い出せませんが、小さな怒りの共有はいろいろありました。
正義感の強い節子は、テレビを観ていても時々怒りを口にしました。
私よりも、ある意味でははげしかったです。
節子との哀しみの共有は、やはり節子の病気のことでした。
手術して3か月くらいは本当に哀しさを共有していました。
毎朝、2人で手をつないで散歩に行きました。
私たちの合言葉は、「感謝、勇気、大きな声」でした。
節子と共有した楽しさは、もちろん40年の人生でした。
2人でいることそのことだけで、私たちは楽しかったのです。
そう考えると、人生とはまさに喜怒哀楽の集積であり、喜怒哀楽の4つは結局は同じものであることがよくわかります。
ところで、節子は十分に笑うことが出来ただろうかという最初の話ですが、
残念ながら答はノーでしょう。
笑い残した人生だったかもしれません。
節子はもっともっと笑いたかったはずです。
私ももっともっと笑いたかった。
節子と笑いを共有したかったです。
みなさんも悔いのないように、伴侶と思い切り喜怒哀楽を分かち合ってください。
とりわけ笑いを。
笑うことにはコストもかからないし、エネルギーも不要です。
ただ笑えばいいのです。
笑えば楽しくなってきます。
しかし、笑いを分かち合う伴侶がいなければ、笑いも哀しくなります。
伴侶のいる方は、ぜひ一緒に笑ってください。
それがどんなに幸せなことなのか、気づいた時には遅いのですから。
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