■節子への挽歌250:心の叫び、生の気持ち
ややこしい話が続いたので、今日から正常化させましょう。
節子の花基金の出発点になった吉田さんからメールが来ました。
久し振りに、貴君の「妻への挽歌」を時間をかけて読み、・・・と言っても、難しそうなのは飛ばし、女々しいところも適当にしてですが、最近は記憶が定かでなく始めから読み直したので、とにかく長い!・・・近況を知りました。
「難しそうなのは飛ばし、女々しいところも適当にしてですが、」というのはムッとしますが、まあ正直のところ、私でもそうするでしょう。
いや、私なら読まないかもしれません。
第一、こんなに長くて、内容もない記事をよくもまあ書き続けるものだと呆れている人も少なくないでしょう。
我ながら呆れているのですから。
でもこんなメールも来るのです。
挽歌には佐藤さんの心の叫びというか、生々しい気持ちがそのまま綴られているという価値があります。
そして、その心の叫び、生の気持ちに共感する方々がたくさんいるはずです。
それによって癒される方々がいるはずです。
だれかに少しでも平安を与えられるといいのですが、その反対のことをしているのかもしれないと思うこともないわけではありません。
でもいくら書いても書きたりないのです。
節子のことをきちんと書き残したいという気はさらさらないのですが、少しは節子のことを書いておこうという気もあります。しかしなかなかそこにたどり着かないのです。
困ったものです。
まだしばらくは、「とにかく長い」「生々しい気持ち」を叫び続けたいと思います。
きっと節子には届いていると思っています。
そうだよね、節子さん。
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