■心理主義の罠
先週、企業の経営幹部の皆さんの研究活動の発表会がありました。
2つのチームが半年間、議論してきた成果の発表会でしたが、テーマが「本気」と「愛」でした。
テーマを決めたのは研究に取り組んだ皆さん方自身です。
2つともとても刺激的で面白かったのですが、最後に少しコメントをさせてもらう時間がありました。
そこでお話したことの一つが、「心理主義の罠」でした。
これは河野哲也さんの本を読んで知った言葉です。
私は、かなりわがままに個人的に生きている人間です。
ですから、自分の周りで何か問題が起きた場合、制度や組織のせいにするのはあまり好きではありません。
20年前までは制度や社会を変えようなどという思いもありましたが、当時勤めていた会社の企業文化変革に取り組んで気づいたのは、変えられるのは自分だけだということでした。
そして自分の人生を変えました。
会社を辞めたのです。
それで自分が変わったわけではありませんが、少なくとも変わる契機にはなりました。
そして自分が変われば社会も変わっていくのだという思いをずっと持っていました。
もちろんすぐにではなく、50年もすれば変わるだろうということです。
その頃は私はいませんから、裏切られることはありません。
まあ、気楽といえば気楽ですが、そう確信すれば生きることは楽しくなります。
いろいろな問題を相談に来る人がいますが、
自分が変わると風景が変わってくるから、まず自分でできることから始めてみたら、そのために私ができることがあればできるだけ私も応援するよ、
というのが長年の私の基本姿勢でした。
しかし、数年前から少し考えが変わってきました。
世間で「自己責任論」が広がりだした4、5年前からです。
社会の構造が変わってしまってきたことに気づいたのです。
そして昨年、出会ったのが「心理主義の罠」という言葉でした。
「心理主義」とは、人々の関心が社会から個人の内面へと移行する傾向をいうらしいのですが、その結果、本来は社会的・政治的であるはずの問題を、個人の問題へとすり替えて、問題を「個人化」するようになってしまうわけです。
「悪いのは自分だ」と思うのは実践的な発想ですが、「悪いのはお前だ」というのは無責任な発想です。
その違いは大きいですが、どうもその2つが混同されてきているのではないかと思い出してきたのです。
私たちは最近あまりにも大きな責任を一人で背負い込んでしまっているのではないか。
その重さに耐えられずに、さまざまな問題が発生しているのかもしれません。
無責任な自己責任論がどれだけ多くの人を苦しめているか。
最近、そのことがとても気になっています。
問題を自分だけで引き受けすぎないようにしなければいけません。
政治家や官僚のように、すべてを他者や外部要因に引き受けさせる姿勢も、少し学ばなければいけないのかもしれません。
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