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2008/06/20

■節子への挽歌292:気楽に行こう、自然体で行こう1

上原さんのコメントを読んで以来、「立ち上がれない日々」のことを考えていました。
この言葉は、たぶん私も何回か使った言葉ですし、私の実状を的確に表現しているのですが、なぜか気になりだしました。
上原さんのコメントにもう一つ「きちんと生活」という言葉があったのがあ、そう考えだすきっかけでした。
私は「きちんと生活」しているのだろうか。
いや、どうして「立ち上がろう」としているのだろうか。
節子がいないいま、「きちんと生活」とはどういう生活なのだろうか。
気になりだすと、疑問は次々と広がります。
これが私の悪癖のひとつです。
まあ、自分では気に入っている癖なのですが。
もっとも節子ならば、きっと「また問題を難しくしているわね」と一笑に付すでしょう。

コメントへの私の回答に、

立ち上がれなくてもいいのかもしれません。
最近はそう開き直っています。
と何気なく書いたのですが、そこに答があるかもしれないと気づきました。

以前に比べて私の生活スタイルは一変しています。
これがいまの「立ち上がり方」であり、「生活の仕方」なのだと考えれば、気が楽になります。
私の信条は、Take it easy(気楽に行こう、自然体で行こう)です。
それを忘れていたのではないかと気づいたわけです。

まあ、日によって、重く沈んだり、気楽に前向きになったり、このブログも不安定ですが、
それこそが自然の生き方と考えればいいわけです。
愛する人、大切な人を失ったら、世界が変るのは当然です。
それまでのような生活はできなくなるのも当然です。
でも私たちは、きっと以前のような暮らしや元気に戻らなくてはと思うように仕組まれているのでしょう。
いわゆる生命体のホメオスタシス(恒常性維持機能)が、意識面でも作動しているのです。

ホメオスタシスは、「生物のもつ重要な性質のひとつで、生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず、生体の状態が一定に保たれるという性質」(ウィキペディア)で、それが、生物が生物である要件のひとつであるとされています。
つまりこれがないと生物は時々刻々変化する環境のなかでは存続できないのです。
しかし、このホメオスタシスが、意識体としての人間を逆に迷わせているのかもしれません。
その結果が、昨今のメンタルヘルス問題かもしれまいと思い出しました。

問題はどうも「挽歌編」を超えだしました。
続きは「時評編」に書きます。

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