■節子への挽歌274:「世の中には、存在が否定されるべき人はいない」
時々、なぜかある人のことを思い出して、気になることがあります。
そうすると、またなぜかその人から連絡などがあるのです。
いわゆるシンクロニシティ現象です。
先日、ある人と話して突然にNKさんのことを思い出しました。
最近、連絡がないけれど元気だろうか。
そう思っていたら、何とその翌日にメールが来たのです。
お元気そうで、うれしく思いましたが、返信したら長いメールが届きました。
NKさんはおそらくいま「苦境」にあるのでしょうが、そんなことは全く感じさせない、軽妙な文章で、読んでいて楽しくなりました。
苦境を体験した人は、みんな本当に優しいです。
そのメールの中に、私がブログで書いた辺見庸さんの言葉への言及がありました。
『世の中には、存在が否定されるべき人はいない』
NKさんはカトリックのクリスチャンです。
NKさんの好きな旧約聖書の「知恵の書」11章23説のことばを教えてくれました。
全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、新約などしなかったらよかったのにと、クリスチャンでない私はつい思いたくなるような、感動的な言葉です。
略
お造りになったものを何一つ嫌われない。
憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みならないのに存在し
あなたが呼び出されないのに存在するものが
果たしてあるのだろうか。
略
あなたはすべてをいとうしまれる
NKさんのメールの最後にこう書いてくれました。
先生!お願いが有ります。あまりブログでさびしそうなことを書かないほうがいいようですね。
(NKさんは私のことをなぜか「先生」というのです)
Googleでも、何でも『笑いの効用』もしくは、『笑の効果』を検索して下さい。
みんなを心配させてしまうのは、私の本意ではないのです。
NKさん、検索していくつかの記事も読みました。
私もよく笑っています。安心してください。
それに、節子も凄絶な闘病中も決して「笑い」や「遊び心」を失いませんでした。
その節子から、笑うことと泣くことをたくさん教えてもらっていますので。
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