■節子への挽歌279:父を送ってからちょっと変りました
昨日、久しぶりにNSさんが訪ねてきてくれました。
夢と情熱を持った青年起業家です。
節子も一度会っているかもしれません。
この2年、いろいろと苦労をしてきたようですが、ようやく少し落ち着いたからといって、節子に献花してほしいと来てくれたのです。
個人で事業していくことの大変さを知っていますので、そうした大変な状況の中にもかかわらず、節子のことを気にしていてくれたことがとてもうれしくて、ついつい節子の話をしてしまいました。
半身を削がれながら、その半身に節子が入ってきているような気がすると話したら、NSさんは、奥さんは一緒にいますよ、と即座に反応してきました。
実は、NSさんも数年前に父親を同じ病気で見送ったのだそうです。
それを契機に、スピリチュアリティの世界への共感を強めているようです。
そこから「生きがいの創造」の飯田史彦さんの話になりました。
NSさんは飯田さんの愛読者で、今年の初めに講演も聴きに行ったそうです。
まさか私が飯田さんと知り合いだとは思ってもいなかったようです。
そんなわけで、すこしばかりそれに関連した話になりました。
まさかこんな話になるとは思ってもいませんでした。
愛する人との死別は世界を変えますが、体験したものであればこそ、言葉を超えて通ずるものもあるようです。
私はNSさんのような志ある事業家ではありませんが、
節子と一緒になって、コンセプトワークショップという奇妙な会社を立ち上げ、苦労してCWSスタイルを創りあげた頃のことを思い出しました。
節子がいなければ、コンセプトワークショップは途中で普通の会社になっていたかもしれません。
収益など全く気にせずに20年継続できたのは奇跡としか思えませんが、節子にはいろいろと苦労をかけたような気がします。
いろいろな人の相談にはのりましたが、肝心の節子の相談にはのっていただろうか。
もう少し節子の希望を真剣に考えればよかったです。
NSさんが帰った後、ちょっとしんみりしてしまいました。
節子
今日はNSさんからの花を供えました。
節子の好きなマツムシソウとカンパニラやアスチルベを中心にアレンジしてもらいました。
マツムシソウは霧が峰などで、節子になんどもおしえてもらったことを思い出します。
この週末もちょっとにぎやかな雰囲気です。
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