■インターネットの持つ増幅機能
先月末、ブログに「死ね」と書き込まれた高校生が自殺するという事件がありました。
この種の事件はこれまでも何度か報道されています。
ネット犯罪も問題になっていますが、この種の事件も少なくないはずです。
ネットは、さまざまなものを「増幅」し「拡大」する機能を持っています。
それが価値を生み出す場合も、被害を生み出す場合もあります。
問題は、ネットの持つそうした機能が、これまでのものに比べて極めて強力なことです。
強力になった一因は、ネットを通すことで情報が無機化し、人間的な表情を失うことではないかと思います。
言葉が「剥き出しの意味」だけになり、そこに含まれるニュアンスまでもが無機質な冷淡なものになってしまうのです。
今回の書き込みも、面と向かっていう場合に比べて、その効果は格段に増強されている可能性があります。
直接は言えないが、手紙やメールでなら言えるという人がいますが、そのこと自体が、手紙やメールには怨念や非難が込められることを示唆しています。
それに、直接の場合は、相手の反応を見ながらの行為ですから、状況に合わせてお互い柔軟に対応できますが、手紙やネットの場合はそうではありません。
一方的な行為です。相手の反応がないだけ、思いを過剰に強調しがちです。
両者は全く異質の行為であることを認識しなければいけません。
それでも手紙の場合は、長い歴史の中でマナーが育っていましたし、手紙を書いて投函するという行為自体が手間暇かかることもあって、途中でいくつかの思考点が内在していました。
しかし最近のメールは、誰でもが簡単に打てて、しかも瞬時に発信できますから、思考過程がほとんどないのです。
しかも、無機質な媒体を通しますので、発信者と受信者とではその意味合いが大きく変わることも少なくありません。
絵文字などで緩和されるという人もいますが、絵文字さえもが無機質なものですから、逆効果になることもあります。
インターネットでの情報交換に基づく情報活動の怖さを、私はいつも感じています。
いま私も参加している平和関係のメーリングリストで、ある人の投稿が批判され、いろいろなやり取りが行われています。
このメーリングリストには、私も一度投稿して、全く不条理な批判を受けましたので、以後、投稿には留意していますが、慣れていないと批判を正面から受けてしまいかねません。
受けてしまうと際限のない「非平和的」な泥仕合に進みかねません。
いささか無責任ですが、そうした議論のやりとりを横から見ていると、ネット上での議論の難しさを改めて思い知らされます。
最初は誰も悪意がないのに、次第に悪意が生まれだすのです。
ネットが「悪意の増幅器」になってしまうわけです。
ネットが「善意の増幅器」になることもあります。
難病の子どもを救うために、あるいは被災者の支援のために、ネットを活用した迅速な対応の事例もあります。
増幅器は、それをどう活用するかが重要です。
しかし、インターネットの恐ろしさは、たった一人の人の「悪意」や「誤謬」が、その増幅機能によって全体を方向づけることがあるということです。
世界を破壊するには、ひとりの「悪意」で十分なのかもしれません。
そのことは、同時に、世界の平和の実現は一人の「善意」から始まるということでもあります。
原子力もそうですが、インターネットは世界を大きく変えていく力を私たちに与えました。
それをどう活かしていくのか。
その不安と希望を整理できずにいます。
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