■節子への挽歌289:「立ち上がれない日々」
大浦さんからの手紙を受け取った翌々日(6月14日)、このブログにコメントを書いてくださった方がいます。
上原みすずさんです。
読まれた方も入ると思いますが、こういうコメントです。
はじめましてまた胸がつかえました。
節子様への想いがせつせつと伝わってきて私の想いと重なってつい書き込みをしてしまいました。
私も自分で心療内科へ行ってきましたが、時が解決をしてくれるのを待つしかないようです。
伴侶喪失より6年たっても立ち上がれない日々です。
佐藤様はきちんと生活してらして立派です。
私は知識も教養もないただのおばさんですが、又時々お邪魔さしてください。
上原さんも全く面識のない方です。
「立ち上がれない日々」
とてもよく実感できます。
友人知人にはわかってもらえませんが、ほんとうに「立ち上がれない」のです。
世界が一変し、その新しい世界で生きていくために少しずつ強くなっていく自分を感ずることはできるのですが、
その反面で、節子のいないそんな世界では元気に生きたくはないという、ちょっとひねくれた自分もいるのです。
ですから、いろいろな意味において、立ち上がれないのです。
愛する人を失って「立ち上がれない日々」を送っている人が、たくさんいる。
節子との別れを体験する以前は、そうしたことは頭では知っていましたが、
本当にはわかっていなかったのです。
いや、もしかして周りにいても気づかなかったのです。
たぶんいまの私の「立ち上がれない状況」は、外部からはほとんど見えないでしょう。
ということは、私もまた、そうした人たちの深い悲しみや寂しさに今でも気づいていないということです。
しかし、節子のおかげで、あるいはこのブログのおかげで、
そうした人たちのことが少し見え出したように思います。
それだけでもきっと私の人生は豊かなものになるはずです。
これはきっと節子からの贈り物なのです。
節子から教えてもらったことはたくさんありますが、
まだまだ気づいていないものがたくさんありそうです。
節子、ありがとう。
上原さんにも感謝します。
ありがとうございます。
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