■節子への挽歌301:家族の絆
今日は節子への報告です。
家族を失うと、遺された家族にはさまざまなストレスが生まれます。
このブログでは、私のことしか書いていませんが、
わが家には同居している娘が2人とチビ太くんという犬がいます。
そうした私以外の家族にもそれぞれ大きなストレスはかかっています。
もっともチビ太はあんまり感じていないのかもしれません。
節子がいなくなってからも、特に大きな変化はありません。
動物のスピリチュアリティには大きな関心を持っていますが、チビ太にはどうもスピリチュアリティを感じません。
彼は、薄情な近代犬なのです。いやはや困ったものです。
節子がいなくなってから、一番、精神的にダウンしたのは私です。
それまでは一応、私たち夫婦が家族の中心でしたが、それは節子がいればこそでした。
その家族の中心がなくなってしまったのです。
節子のいない私は、いわゆる「腑抜け」のような存在になっていたはずです。
私がなんとか踏みとどまれたのは、同居していた娘たちのおかげです。
私は実に幸運だったのです。
娘たちに感謝しています。
しかし、私が支えられた分、逆に娘たちのストレスはさらに上乗せされたでしょう。
それはわかっていましたが、娘たちに甘えることにしました。
彼女らも、自分自身の問題もいろいろと抱えているはずですから、大変だったと思います。
最近、漸く、そうした状況を受け止められるようになってきました。
つい先日、3人で食事に行きましたが、節子のいない意味を改めて実感しました。
お互いに精一杯支え合いながら、私のように寂しさや悲しさをストレートに出せない性格なのです。
その分、内部に蓄積されるはずです。
それをもっと思いやらねばならないと改めて思いました。
このままだと、誰かが倒れかねないと思いました。
愛する人を失った人の思いは複雑で、たとえ親子といえども理解などできませんが、思いやることはできます。
大切なのは、理解できないことを認識した上で、何ができるかを考えることかもしれません。
そんな思いになりだしていた矢先、一昨日、わが家一番の頑張り屋の次女が倒れてしまいました。
積もり積もったストレスが引き起こしたことだったのでしょう。
幸いに長女が在宅でした。
おろおろする私とは別に、彼女がてきぱきと状況を仕切ってくれました。
そのおかげで、大事には至らず、次女も回復しつつあります。
今回は、長女の適切な行動に助けられました。
病院からの帰路、長女が、最近、ちょっとギスギスしていたね、と言いました。
節子がいなくなってから、家族はお互いのことを気遣いしあいすぎて、それが逆にお互いのストレスを高めあっていたのかもしれません。
長女もそれを感じていたのです。
節子がいなくなった後、私と節子が入れ替わっていたほうが娘たちには良かっただろうにと、何回も思いました。
しかし、それは無責任な逃避的発言だったのです。
現実をもっと見据えなければいけません。
最近は、「節子だったらどうしただろうか」と考えるようにしています。
しかし今はまだ、その度に節子との思い出が出てきてしまい、判断できなくなります。
次女が身体で表現してくれた事件のおかげで、ちょっと意識しあいすぎていた家族の関係が変りそうです。
今日は、静かに自宅で3人、過ごしています。
節子
娘たちは、本当によくしてくれますし、それぞれ少しずつですが、前進しています。
安心してください。
まあ、私もだいぶしっかりしてきました。はい。
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