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2008/06/19

■死刑制度がなくても成り立つ社会の仕組みが課題

このブログでも「死刑制度」について書いてきたこともあって、
死刑執行が増えていることへの感想を書かなければいけないような気がしてきました。
気が乗りませんが、思いつくままに書きます。

制度があるのであれば、それは的確に執行されるべきだと思いますので、最近の執行率に関する違和感はありません。
むしろ判決が確定してからもこれほど長く執行されないのかということに違和感があります。
死刑確定囚が100人以上もいるというのも驚きです。
死刑判決を確定しておきながら、執行しないことの異常さを感じます。
いささかでも「疑義」があるのであれば、死刑判決が間違いだと思いますし、「疑義」がないのであれば、死刑の前に被告を立ち続けさせることの残酷さ、罪深さを感じます。
司法への不信感につながりかねません。

今回の宮崎被告に関しては、あまりにも執行が早すぎる、事件の原因究明も十分でなく、もっと事件を解明し、そこから学ぶべきだったのではないか、という意見を述べていた専門家がいました。
20年以上も時間があるのに、十分な学びができない専門家というのもおかしな存在ですが。
事件を繰り返さないために、事件の原因や背景を調べることは必要ですが、個別事件をいくら深く分析しても、事件の予防にはさほど役立たないでしょう。
類似事件の共通点に関する分析も出ていますが、事件はそれぞれに個別です。
そうした分析から出てくることは、もうみんなわかっていることのように思います。

問題は、起こったことの分析や調査ではなく、これから先に向けての私たちの生き方です。
佐木隆三さんが、家族のような身近なところから見直すべきだと話していましたが、とても共感できます。
過去の事件を過剰に報道し、むりやり原因を創りだしたり、社会を刺激したりするマスコミの姿勢には疑問を感じます。

死刑制度の問題を廃止するのであれば、その制度がなくても、社会の秩序が維持され、死刑を求めたくなるような残虐な事件が起きないような仕組み、あるいは、そうした残虐な事件の被害者になった人を救済する仕組みを考えなければいけません。
死刑制度廃止を主張する国会議員や法曹界の人たちは、単に死刑制度廃止を唱えるのではなく、そうしたオルタナティブを創案することにエネルギーを向けるべきだと思います。
日本では、死刑賛成者が多いということが持つ意味もしっかりと考えるべきでしょう。

過去の個別の事件をいくら克明に分析し報道しても、そういうことが出てくることはありません。
解決の鍵は、特殊な事件にあるのではなく、日常の私たちの生活にあるはずです。

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