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2008/06/01

■大地産業とアダム・スミスの主張

テレビの報道2001の食料自給率に関する議論をしていました。40%を切っている食料自給率は60%にしなければならないこと、田畑が荒れていること、兼業農家を疎外する認定農家制度がよくなかったこと、バイオマスには食料をまわすべきではないことなど、いろいろな議論が出ていました。
政治家は、民主党の渡部恒三さんや自民党の加藤紘一さんが出演していました。
それを進めてきた張本人たちの議論ですので、白々しさを感じますが、まあそういう意識が漸く出てきたのはいいことです。

そこで、渡部恒三さんが「大地産業」という言葉を使っていました。
とても新鮮に聞こえました。
そしてアダム・スミスとジェイン・ジェイコブスを思い出しました。

アダム・スミスは「国富論」のなかの「富の自然的進歩について」で、資本は、まず農業に、次に製造業に、最後に外国との貿易に投資するのが自然の流れだと書いています。
それは、人間の生活にとっての必要度と生活基盤(大地)とのつながりからの優先づけです。
彼が生きていた時代までの重商主義経済は、この逆を進んでいたために大きな格差を生み出し、社会は荒廃し、経済も持続可能でなくなってしまいつつありました。
それを打破するための提案が「国富論」だったそうです。
しかし、その後の経済学者や経営学者は、それを読み違えていたようです。

ジェイコブスは、「経済の本質」のなかで、「輸出とは、その地域の最終生産物であり、地域のエネルギーの放出である」と述べています。
大地が生み出した余剰を輸出するのが生活者の立場での本来の貿易です。
エネルギーの放出によって得るものはいろいろありますが、利益を目指す資本が得る金銭は決して地域を豊かにはしません。
ただ石油やダイヤモンドを売って利益を得ても、地域は決して豊かにはなりません。
豊かにするのは、その利益で得た輸入物ですが、その輸入物をうまく活用してこそ地域は豊かになります。
そのためには、やはり大地に立脚した製造業が必要になってきます。

スミスの「資本は、まず農業に、次に製造業に、最後に外国との貿易」という主張はとても説得力があります。
農業を起点にした経済、製造業を起点にした経済、貿易を起点にした経済。
それぞれ原理が違います。
農業を起点にした経済は、進み方は遅いでしょうが、持続可能性は一番高いでしょう。
製造業を起点にした経済は近代工業社会です。
競争によって発展を加速させる一方で、格差を生み環境を壊してきました。
貿易起点の経済は、まさに金融資本主義経済につながっています。
そこでは「人間」は不要の存在になりかねません。
格差さえ不要なのかもしれません。

企業もまた、そうしたそれぞれの原理にあわせて構成されつつあります。
一昨日、最近のIBMの組織構造の話を聞きましたが、まさにそのことを示唆しています。

経済は大地に立脚してこそ活動を持続させられます。
産業もまた、大地に立脚していることを忘れすぎているのが、現在の日本の経済かもしれません。

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