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2008/06/24

■「不都合な真実」から「目指すべきビジョン」に

先日、K2登頂に成功したKさんにお聞きした話ですが、普段、人間は持てるエネルギーの1割程度しか活用していないが、死に瀕する状況では5~7割の能力を発揮するのだそうです。
K2は登頂する点ではエベレストよりも危険度が高く、遭難者も多い山です。
Kさんが死を賭して登頂に挑戦した理由の一つは、自分の持つ能力を思い切り出し切る体験をしたかったからですが、エネルギーを出し切った後の下山時の疲労感は、これまで体験したことのないものだったそうです。
しかし、生命力を出し切った感覚は、一度味わうとまた味わいたくなるようです。
人間は蓄積するエネルギーを放出する場が、時に必要なのかもしれません。

昨今の日本は、やや安心安全の水準が低下したとはいえ、日常的には生命の不安をあまり感じない社会でしょう。
そこではみんな生命力の1割しか発揮していないわけです。
とすれば、社会に蓄積されるエネルギーを放出する仕組みをどうつくるかは重要な課題です。
それが「ハレ」の仕組みであり、スポーツやサーカスの効用かもしれません。
戦争もまた、その不幸な結果なのかもしれません。
しかし、どうせなら社会に蓄積されるエネルギーを、プラスの方向で活かしていきたいものです。
そのためには、「夢」や「希望」、「ビジョン」といった「大きな物語」が必要です。
たぶん、いまの世界にはそれが欠けています。
ゴアの「不都合な真実」は、エネルギーの点火する要素は持っていますが、その小さな火を集めていく「物語」がないのが残念です。

社会(組織)はそれを構成しているメンバーの生命力によって形成されています。
一人ひとりのメンバーのエネルギーがちょっと高まっただけで、それらを集積すると膨大なエネルギーになります。
そのエネルギーを統合し、効果的に活用していくことができれば、組織も社会も飛躍的に元気になるはずです。
残念ながら、現実はそれと反対の方向へと動いています。

いささか抽象的なことを書いてしまいましたが、
この視点で今起こっているさまざまなことを考えると、また違った視野が開けてきます。
マルチチュードがどの方向に動き出すか、いままさにそのせめぎあいが進んでいますが、「いのち」を預けられる物語を生み出すのはどちら側でしょうか。

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