■節子への挽歌295:私にとっては存在しない日の記憶画像
節子
昨日は田辺大さんが我孫子まで献花にきてくれました。
田辺さんは盲ろう者の働き場づくりに取り組んでいる社会起業家です。
節子とは話をしたことはないかもしれませんが、「手がたりの田辺さん」といえば、節子は思い出すでしょう。
時々、私たちの間でも話題になった人ですから。
節子のお通夜は、ちょうど田辺さんの活動がテレビかラジオで紹介される時間だったのではないかと記憶しています。
にもかかわらず田辺さんは来てくれました。
一言だけ話を交わしましたが、その時の様子を今でもなぜか鮮明に覚えています。
あの時は大勢の人にお会いしましたが、私自身、気が動転していたはずなのに、なぜかその日会った人たちの様子が映画の画面のようにはっきりと思い出されるのです。
しかも、不思議なのですが、それぞれが「その人らしく」動いているのです。
たとえば、某企業のIMさん。
まさか彼が来るとは思ってもいませんでしたが(伝えていませんでしたので)、告別式の日、IMさんが私を送ろうとしてウロウロしている風景が頭に焼き付いています。
IMさんとは一言も話していませんが。
我孫子に住むMさん、あるいはユニバーサルデザイン関係のNPOをやっているOさんもリアリティのないままに、その姿だけは鮮明に残っています。
2人ともなぜか所在なげにウロウロしているのです。
はしゃいでいるように見える友人知人の顔の映像も残っていますし、
その反対に、硬直して言葉を失っている友人の表情の残像もあります。
そしてそうした様々な姿に対応している自分の姿も、見えているのです。
はしゃいでいる人にははしゃぎながら、
硬直している人には硬直しながら、
ウロウロしている人にはウロウロしながら。
もっとも、それらが「実像」なのか、私が勝手に創造してしまった「虚像」なのか、必ずしも自信がありません。
節子と別れた日の記憶は、私にはとても不思議なことばかりなのです。
あの2日間は、私には本当は存在しない日なのかもしれません。
それはともかく、田辺さんはずっと気にしてくれていたのです。
今日、突然電話がかかってきて、これから行ってもいいかというのです。
雨の中を節子が好きそうな白い花を持ってやってきてくれました。
節子の話をするのがなぜか辛い気がして、節子の位牌の前で全く節子とは無縁の話をしてしまいました。
田辺さんを見送った後、節子のことを少し話せばよかったと後悔しました。
昨日はもう1人、節子が知っている若者も訪ねてきてくれました。
彼とも節子の話を全くしなかったことに、いま気づきました。
節子のことを話すのは、実は結構難しいのです。
何を話せばいいのでしょうか。
それに話しだすと止まらなくなるおそれもあります。
だから節子のことを話さないでもいいように、他のことを急いで話してしまうのかもしれません。
困ったものです。
| 固定リンク
「妻への挽歌02」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌399:節子を見送った後、初めて湯河原で朝を迎えました(2008.10.04)
- ■節子への挽歌396:習字の仲間が来てくれましたよ(2008.10.01)
- ■節子への挽歌398:秋の箱根は、無性に悲しかったです(2008.10.03)
- ■節子への挽歌395:マリーがよろこばないから(2008.09.30)
コメント
佐藤さん
先日は、誠に、ありがとうございました。
手賀沼が見渡せて、素敵なお庭でした。
改めて、今後とも、よろしくお願い申し上げます。
投稿: 田辺 | 2008/06/24 11:48
田辺さん
ありがとうございました。
雨のため、手賀沼を一望できる屋上にご案内できませんでした。
干し物台ほどの屋上から手賀沼が見えるのです。
久しぶりに田辺さんの活動をお聞きして、よかったです。
田辺さんに会うと時代が変わりだしていることを、いつも感じています。
投稿: 佐藤修 | 2008/07/05 09:10