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2008/06/17

■多田富雄さんの祈り

お元気の時の多田富雄さんに、一度、何かの集まりでお会いしたことがあります。
そういう場所で、私自身は著名な人には声をかけることはないのですが、
多田さんには思わず声をかけてしまったのを思い出します。
なぜ声をかけたのかわかりませんが、その時、たぶん私は多田さんの「生命の意味論」を読み終わった時で、まだ興奮が冷めていなかったのだろうと思います。
いうまでもなく、多田富雄さんは免疫学の先生です。

多田さんが脳梗塞で倒れたのは2001年でした。
そこから全く別のメッセージが出され始めました。
このブログでも一度書いたことがありますが、日本の医療制度への怒りです。

たとえば、昨年3月に講演された時の次の記事をご覧ください。
「無明なるこの世に見えて暗きほど星は眩しく光るものなれ」

その多田さんが、いま、朝日新聞のコラムでご自身のことを踏まえて書いています。
今日は6回目でしたが、タイトルは「介護に表れる人の本性」です。
その中に、こんな文章が出てきます。
とてもホッとさせられます。

介護の職員たちのたとえようもない優しさは何でしょう。
人の嫌がることでも喜々としてやってくれる。
介護には人の本性が表れます。
滅び行く者への共感。弱者の「あわれさ」への同情です。
これがある限り日本は大丈夫だと思いました。
繰り返しますが、本当にうれしい記事でした。
これは多田さんの「祈り」ではないかだろうかと思いました。
ちなみに、その前のタイトルは、
「きずな断ち切る自助努力」
「医療費を削る冷酷な国」
だったのです。

多田さんは今日の記事の最後にこう書いています。

人の幸せは、小さな安心がいつも確認できるところにあるのではないでしょうか。
何回も何回も読み直しました。
不思議ですが、涙が出てきました。
どうも最近は涙ばかり出てきて困ります。
多田さんに平安が訪れていることが、うれしくてなりません。

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