■諫早湾干拓の不幸と間違い
歴史的な文化遺跡は一度壊すと回復は絶望的です。
そのため保護される仕組みができていますが、その保護によって遺跡が発見された土地を所有している地主は、その土地の活用に関して大きな制約を受けます。
そうしたことの根底には、たぶん総有的な発想があるのだろうと思います。
私有地だからと言って、勝手に個人的な都合で何でもできるわけではありません。
では自然はどうでしょうか。
特に多くの人が使っている山林や河川や海はどうでしょうか。
それらはそもそも私的所有の対象にはなじまないと思いますが、同時に統治者の自由な処理の対象にもならないように思います。
自然は大きなコモンズ(みんなのもの、総有の対象)ではないかと私は思います。
文化遺跡以上に、保全の仕組みをしっかりとつくっておくべきではないかと思いますが、そうはなっていません。
諫早湾干拓のための水門は、自然を畏れぬ冒涜的な行為だと思いますが、残念ながら統治者や国民はそれを許しました。
地元の漁民たちさえも、当初はあまり強い反対運動には参加しなかったという話も聞きました。
しかし水門を閉じてからの漁業への影響は甚大でした。
自殺者も出ましたし、死滅した生物もいたかもしれません。
干拓の目的もまたほとんど成果をあげていないような報告もあります。
諫早湾干拓訴訟の佐賀地裁判決が一昨日(6月27日)出されました。
国に潮受け堤防の排水門を常時開門するよう命ずる内容です。
朝日新聞は、「諫早湾干拓事業は、文部科学省の外郭団体が科学技術分野における重大な「失敗百選」に選んでいる。なにしろ干拓に2533億円の巨費をかけながら、将来の農業生産額は2%にも満たない年間45億円である。無駄な巨大公共事業の典型である」と報じています。
外郭団体が費用をかけて調査しなくても、そんなことは10年前からわかっていたはずです。
とりわけ漁民たちにはわかっていたでしょう。
でも正面から反対運動は起こせなかった。
私は最近の報道で漁業関係者たちの声を読んで、正直、何をいまさらと思いました。
しかし、漁民の人たちも、行政を信じたり、あるいはほかの誰かのことを配慮したり、いろいろ事情があったのでしょう。
干拓を進める側の県職員にも決して悪意はなかったでしょう。
私の友人も関わっていましたが、彼は悪意など皆無の人物です。
彼らは推進派の学者たちの権威あるデータを信じたのです。
水俣病の教訓があったにも関わらず、
今回も現場で暮らしている漁民たちの本当の意見にはたどりつけなかったのでしょう。
そして不幸で無駄な結果になってしまったわけです。
手元に2001年に発表された『市民による諫早干拓「時のアセス」』の報告書があります。
なぜ「市民による」なのか。
「住民による」報告書だったら、だいぶ違った内容になっていたでしょう。
その後の動きも変っていたはずです。
事情を一番良く知っているはずの「住民」がいつも中心にいないのが、あらゆる問題の間違いの原因です。
現場の人たちにとっては、とても不幸な時代ですが、社会全体にとって間違いなく不幸な時代ではないかと思います。
そのことは、環境問題に限ったことではありません。
福祉も教育も、すべてにおいて現場がおろそかにされているのが気になります。
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