■「千軒あれば共過ぎ」
数日前に、鹿児島県立短期大学の斉藤悦則准教授の論文を読んでいたら、
「千軒あれば共過ぎ(せんげんあればともすぎ)」という言葉が出てきました。
家が千軒もあれば、ひとつの経済圏として、外に頼らなくても自立していける社会になる、
というような意味だそうです。
ネットで調べたら、司馬遼太郎の「以下、無用のことながら」というエッセー集にも出てくるようです。
広島県の福山市は昔「草戸千軒(くさどせんげん)」といわれたそうですが、
千軒とは「まち」を表わす言葉のようです。
共過ぎとは友過ぎとも書くようですが、持ちつ持たれつ世渡りをすること。
つまり、お互いに支え合いながら(需要と供給を完結させながら)生活していくことだそうです。
経済的に言えば、千軒もあれば、商工業もなりたつというわけです。
ちなみに、これは核家族化が進む前の話ですから、
千軒とは人口にすれば、5000~6000人という感じでしょうか。
生活圏としては理想的な規模ではないかと、私は思います。
大雑把に言えば、小学校学区規模でしょうか。
まちづくりに関わってきた体験からも、顔が見える人間的な規模だと思います。
市町村合併ではなく、私は全国を千軒単位の地域社会に分けて、それを下からつなげていくことで、生活立脚の自治体構造ができるのではないかと思っています。
統治のためには市町村合併ですが、生活のためには市町村分割が効果的です。
昨今の日本社会の根本問題は、地域と生活とのつながりの弱まりです。
それを仕組み加速させているのが資本の論理です。
資本の論理などというと、何やら古めかしい印象がありますが、
いままさにそれが人間の世界を壊そうとしているような気がします。
資本というよりも、金融資本というべきでしょうか。
お金は、表情もなくわかりやすいので、結集しやすく合意しやすいのです。
同時に、地域(自然)を超えていますから、文化の違いなどとは無関係にグローバル化してしまうわけです。
いまそうした金融資本が世界を支配しているような気がします。
そこから抜け出るためには、もう一度、土に根ざした暮らしに立脚した、人間のための経済を考えなければいけません。
まずは千軒から発想していくのが効果的です。
社会もまた千軒から脱構築していくべきではないかと思います。
CWSコモンズの週間報告に、昨今の金融商品化社会の流れについての衝撃的な話を紹介しました。
「スモール・コミュニティ」からの社会の脱構築が、そこから抜ける方策に関する私の考えです。
たまたま今日、社会起業家の実践者にして研究者の田辺大さんが、女房への献花にわが家にきてくれました。
田辺さんと久しぶりに社会起業家論を話しているうちに、「千軒あれば共過ぎ」を思い出しました。
社会起業家という場合の「社会」って何なのでしょうか。
その議論が抜けている風潮がとても気になります。
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