■怒りの矛先がわからないための無差別殺人
わが家に Wii Fit がやってきました。
数年前から話題になっている健康管理のゲームです。
はじめた途端に、家族全員はまってしまいました。
からだ測定やトレーニングのプログラムがあります。
利用者の立場に立って、様々な工夫がなされていますので、
使いやすいばかりではなく、面白く継続する気にさせられます。
毎日、娘たちと1時間くらい盛り上がっています。
かなりハードなものもあり、3日間しかやっていないのに、身体の節々が痛いです。
わが家族は、それぞれ好みが違うのですが、このWii Fitに関しては同じように楽しめます。
それに、それぞれの健康管理にもつながるので、時間や関心を共有できるのです。
久しぶりに家族みんなで笑い転げる風景が生じています。
家族3人でやりながら、ロバート・パットナムの“Bowling Alone”を思い出しました。
チームゲームだったはずのボーリングを、独りでやる人が増えているという話です。
ソーシャル・キャピタル概念の出発点になった論文です。
日本でも、人と人とのつながりがなくなり、遊びも「個人化」しています。
最近の電子ゲームの多くは、画面を見ながら一人で勝負するものも多いです。
しかもそこでは「生死」がゲームの対象に組み込まれることが少なくありません。
そうしたゲームを一人でやっていたら、どうなるか。
しかも、現実の社会は、非人間的な競争が広がる格差社会です。
ゲームの世界が、まさに展開されているのです。
現実の世界とゲームの世界が、いろいろなところで繋がってしまい、
虚実混同の危険性が広がっているように思います。
昨日、秋葉原でとても残念な事件が起きました。
最近またこの種の無差別殺人事件が連続発生しています。
加害者に同情するつもりはありませんが、
それでも加害者の持って行き場のない怒りや悩みを考えると、
加害者もまた被害者なのだと思わざるを得ません。
彼らの怒りや迷いを発散させ解消させる場がないのです。
家族が風化し、近隣社会が崩壊し、「自己責任」思想が蔓延している社会は、とても生きにくい社会です。
人は「つながり」の中でこそ、人らしく生きられるのですが、
その「つながり」がなければ社会の部品にならなければ生存さえもが保障されません。
それが、どれほど生きにくい社会なのかは、問題に直面しないとわかりません。
ですから多くの人は、自分から「つながり」を切り捨てていきがちなのです。
私のこの10年の活動は、そうした認識の上に立っています。
たとえば、周りに声をかけて、みんなが支えあう小さな会社を立ち上げました。
インキュベーションハウスという会社ですが、見事に挫折中です。
今も半分の仲間は残っていますが、その会社はお金の利益を上げるのではなく、
つながりを育てるためにお金を投ずる会社だったのですが、
その意味がほとんど理解してもらえませんでした。
会社であればお金を稼がないといけないと厳しく批判されました。
その批判に対して私もほとんど説明できませんでした。
しかし、お金ではない「利益」もあるだろうにと思っています。
秋葉原の事件とWii Fitとインキュベーションハウス。
いずれも関係ない話のように感じられるかもしれません。
しかし、私にはみんな繋がっているように思います。
もっとみんながつながって、怒りや悩みや、そして喜びをシェアできる社会に生きたいと思います。
Wii Fitの「つながり育て」版に期待しています。
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