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2008/06/12

■秋葉原通り魔事件の報道と首相問責決議の報道

秋葉原通り魔事件に関しては相変わらずの詳細報道です。
親や親戚まで引き釣り出されていますし、犯人の過去がこれまでもかこれまでもかと暴かれています。
コメンターの中には、その背景にある問題にも言及していますが、画面そのものは個人追及ばかりです。
コメンターも個人に罵声を浴びせるだけです。
まさに「心理主義の罠」を感じます。
「卑怯者」と繰り返し言った「有識者」もいますが、不快な気がしました。

私のこのブログも、個人を罵倒することがありますが、
念のために言えば、その対象は原則として公的な職責を持った人に限っています。
そして、私の罵倒の対象は、主にその職責に向いています。
弁護士や政治家や官僚は、体制を象徴し、大きな権限と身の保障を与えられていますから、
批判の対象になって当然と思っているわけです。
それでも「罵倒」はよくありません。
その罵倒はいつか必ず返ってくるばかりでなく、書く人の品格を疑われ、記事の説得力は激減します。
しかし、それでも罵倒したくなる時はあるものです。

いまもそんな気分です。
事件を起こした犯人のことをこれほど詳しく報道し、類似犯を誘発しようとしているのか。
犯人の周辺を巻き込んで、その人たちの生活を過剰に乱そうとしているのか。
それほどまでして、権力に媚を売り、社会を混乱に貶めたいのかと、言う気分です。
腐ったマスコミを育てた私たちの責任ですが。

この事件の刺激的な報道の中で、
首相問責決議は、単なる民主党小沢代表の悪あがきとされてしまい、
首相信任決議という無意味な決議と同列に置かれてしまいました。
最近、秋葉原事件は政府の陰謀ではないかというメールさえまわってきましたが、
そんなメールさえ出回るほどのひどい報道環境です。
一国の首相の問責決議の意味をもっとみんな認識すべきです。

国民の意向を無視し、あるいは国民を騙し、
格差社会を目指して利己的な政策を強行している福田政権に対する国民の支持者は、
世論調査によれば、4人に1人です。
しかし、衆議院の国会議員は厚顔にも信任決議をするわけですから、
議員そのものがもう国民を代表しているとはいえないでしょう。
「騙しの選挙(郵政民営化選挙)」で転げ込んできた既得権をフルに活用して、
私利私欲をむさぼっておこうと言うのが今の福田政権です。

罵倒が過剰でしょうか。
品格のない表現でしょうか。
しかし、福田首相の品格のなさに比べれば、たいしたことはないでしょう。
マスコミの品格のなさに比べたら、どうということもありません。
いや、これが「罵倒」なのでしょうね。

民主党に、自分たちだけで政権遊びをしていないで、
国民にも呼びかけて、問責運動を起こすべきではないかとメールしました。
問責活動を国会内で行っているだけでは、何も変らないでしょう。

秋葉原通り魔事件と首相問責とは深く繋がっていると、私は思います。
秋葉原通り魔事件は、この10年近くの政治が引き起こした事件のように思えてなりません。
そして、まだこれからもこの種の事件が起きないとも限りません。
それほど社会の実相は病みだしています。
今回の事件の教訓を謙虚に考える必要があるのではないでしょうか。
個人やその周辺を責めて終わる話ではありません。
責めるとしたら、首相を頂点にする、今の政治と経済です。

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