■節子への挽歌302:節子、ジャケットを買ってしまいました
節子
娘たちが、私にジャケットやシャツを買うように勧めます。
今の着ているのはもう生地が擦れていると言うのです。
私は目が悪いので気にはならないのですが。
そしてついに彼らのおかげでジャケットを買ってしまいました。
節子からもいつももう少しちゃんとした服を買ったらと言われていました。
私にはその気は全くなかったので、節子の要請はほとんど受けませんでしたが、娘には断りきれません。
いずれにしろ節子が病気になって以来、衣服を購入したのは初めてです。
節子がいなくなってからわかったことですが、
肌着類などは、私の性格を見越してか、節子が私の一生分を買ってくれていました。
私の消費活動はいささか偏っており、お金を使うのはわずかな書籍代だけでした。
酒も煙草も、ゴルフもギャンブルもやりません。
お金のかかる趣味も全くありません。
衣食住のうち、衣服と食にはほとんどお金をかけません。
ファッションにもグルメにも全く関心はありません。
ですからお金がなくても生きていけるのです。
にもかかわらず、家族は私のことを無駄遣いが多いといいます。
確かに、レーザーディスクのプレイヤーを突然2台購入したり、断るはずのリゾートマンションを買ってしまったり、見もしない絵画全集や文学全集を注文してしまったり、以前はそんなこともありました。
お金があるとついつい無駄なものを買うため、最近はお金を持たないようにしていますので、衝動買いはなくなりました。
それに最近は書籍もあんまり購入しなくなりました。
そんなわけで、ともかくお金は使わないのです。
ですから真面目に働けばわが家は大金持ちになれたはずです。
節子と結婚する時、酒も煙草も飲まないのならお金がたまって仕方がないねと節子側の親戚の人からいわれました。
しかし、不思議なもので、入ったお金は自然と出て行くものです。
それに、いろいろあって、ほどほどのお金が入ったり入らなかったりする人生でした。
ですからお金持ちにはならず、わが家は幸せを維持できたのかもしれません。
節子もたぶんそれを歓迎していました。
節子もまたブランド品や貴金属などにはほとんど関心がなく、それにお金がたくさんあったら管理できないタイプでした。
会社を定年前に辞めた時、3000万円の退職金をもらいました。
そんな大金は手にしたこともなく、そのせいで数年後にはほぼ同額の借金に変っていました。
お金で不幸になることはありますが、たぶん幸せになることはないでしょう。
まあ、お金を持ったことのない者の偏見かもしれませんが。
また書かなくてもいいことを書いてしまいました。
節子に笑われそうですが、節子も私と同じく、言わなくてもいいことを言うタイプでした。
ジャケットを購入してからもう1か月以上たちましたが、まだカバーに入ったままです。
着るシーズンが終わってしまいました。
買わなくても良かったなという気もします。
それに、佐々木さんと約束した「本来無一物」指向と反します。
主体性がない人の生き方は矛盾だらけです。はい。
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