■節子への挽歌287:励まされるのは「遺されるもの」
本が送られてきました。
差出人は大浦静子さん。私と同世代です。
全く心当たりのない名前です。
住所を見たら金沢でした。
節子と一緒に金沢を歩いた時のことを思い出しました。
それだけで涙が出てしまいました。
本に手紙が添えられていました。
突然お便り致しますことおゆるしください。そう書き出されていました。
「節子への挽歌」を毎回読ませて頂いているのですが、いつのまにか節子様が亡くなった娘郁代に、佐藤様が私に置き換わっていて毎回涙があふれ出てしまいます。
胸がつかえました。最近、時々、体験することです。
大浦さんは3年前、娘さん(郁代さん)を節子と同じ病気で亡くしたのです。
郁代さんが最期まで読んでいた本「いきがいの創造」の著者、飯田史彦さんのことを知りたくてネット検索して、このブログに出会ったのだそうです。
飯田さんの導きかもしれません。
同封されていた本は「あなたにあえてよかった」。
「泣きながら綴った」追悼の本です、と大浦さんは書いています。
愛する人を失った時、何かしていないとどうしようもないのです。
大浦さんは、きっとこの本を創ることで、自らの魂を鎮めたのでしょう。
もちろん鎮めようはないのですが、そのお気持ちが痛いほどわかります。
本の最初のページに、「郁代がこの本を書かせてくれました」と書かれていますが、
先立つ人は常に遺される人に最大限の心遣いをしてくれます。
節子もそうでしたが、それを思うだけで胸がいたくなります。
時に泣くことも元気をくれます。
このたった数文字の文章が、私には呪文のように響きます。
とても今は読めないと思いました。
でもいつか「節子がこの本を読ませてくれました」と大浦さんに手紙を書けるようになるでしょう。
手紙にはもう一つ心に沁みる文章がありました。
34歳で亡くなった郁代は遺される家族、友人を最期まで励まし続けました。愛する人に先立たれた当事者でなければたぶん書けない言葉です。
励まされるのは、実は「遺されるものたち」なのです。
「遺されるものたち」は、決して「先立つ人」を励ますことはできません。
ケアさえできず、実は「遺されるものたち」こそがケアされていることに気づかされます。
少し落ち着いたので、大浦さんのことを書き出したのですが、どうもまだ早すぎました。
節子のことと重なってしまい、続きが書けなくなりました。
涙でキーボードが打てなくなってしまったのです。
また近いうちに続きを書かせてもらいます。
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