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2008/06/11

■スピード社水着レーザーレーサーとドーピング

話題になっているスピード社の水着レーザーレーサーが解禁されました。
私は最近のオリンピックへの関心はほとんどないのですが、ますます関心を失いました。
「参加することに意義がある」というクーベルタンの言葉も、参加すれば良いという話ではなく、勝つために最大の努力をすることが含意されています。
クーベルタンがこの言葉に言及した時、次のようにも話したそうです。

「人生において重要なことは、成功することでなく、努力することである。根本的なことは征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。このような教えを広めることによって、いっそう強固な、いっそう激しい、しかもより慎重にして、より寛大な人間性を作り上げることができる」

ですから私も、参加が目的だとは思いませんが、勝負に勝つこと、記録を伸ばすことが目的だとも思いたくありません。
「より寛大な人間性を作り上げること」こそが目的にされるべきでしょうし、集まって真摯に競い合うことでふれあいが深まり、平和が目指されるのであれば、オリンピックはすばらしいイベントだと思います。
「参加することに意義がある」とは「平和」に繋がる言葉です。
そうであれば、競い合いは称えあいとセットでなくてはいけません。

しかし昨今のオリンピックや、他のスポーツ大会も、勝つことが最大の目的になってしまっているように思えます。
なぜそうなったかといえば、たぶんそこに「金銭経済」が入り込んできたからだと思います。
その結果、勝つために様々な手段が考案されます。
その一つがドーピングです。
さすがにドーピングは禁止されました。

レーザーレーサーは、着用に20~30分もかかるそうです。
そして身体を極限まで締めつけると新聞に書かれていました。
考えようによっては、人間を機械的に改造するようなものです。
ドーピングとどこが違うのか。
最近のスポーツが進んでいる方向に大きな違和感をもちます。
もっと称えあう、人間的な競い合いを見たいものです。
先場所の大相撲の横綱戦が、人間的だとは全く思いませんが。

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