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2008/06/02

■家族の無事と家族が暮らせる家

四川大地震の被災者がテレビで語っていた2つの言葉が印象的でした。
表現の記憶があいまいですが、主旨は間違っていないと思います。

「私たち農民の全財産は家なんです」
「家族みんな無事でした。それだけで十分です」

家族の無事と家族が暮らせる家。
人間の暮らしにとって、それがすべてかもしれません。

「家」ですが、これはたぶん「家族が暮らしていく場所」ということだと思いました。
決して立派な豪邸という意味ではないでしょう。
自分たちの暮らしの記憶も含めて、生活を支えているのが「家」なのです。
最近の日本は、住宅を消費財に変えてしまいましたが、家は決して消費財ではありません。
同じように、生活を展開する近隣社会も、この「家」には含まれているように思います。
仲間たちと一緒に気持ちよく暮らせる「生活の場所」を、私たちの先祖は苦労して育て上げてきたのです。
そこには「働きの場」も含めるのがいいでしょう。
その象徴が田畑や水田だったのではないかと思います。
快適な暮らしをするためには、人のつながりと暮らしを維持する田畑さえあれば、十分です。
今のような「政治」も「経済」も必要ないでしょう。
汗して誠実に生きている人たちには。

先の2つの発言を聞いて、今の私たちの生き方のおかしさを改めて痛感しました。
日本でも、大地震を体験した阪神淡路地域の人たちは、「家族」や「近隣社会」の大切さに気づき、回復に取り組んでいるとも聞いています。
しかし、私が知る限り、政治も経済も、家族や近隣社会や田畑を壊すことに邁進しているように思います。

四川大地震の被災者たちの「家族」や「家」が、水に流されないことを祈っています。

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