■使用価値の生産が倍増すれば、その交換価値は半減する
「金融権力」を読んでから、プルードンの主張に興味を持ち始めています。
最近、注目されている社会哲学者のプルードンです。
彼の主著の一つが、「貧困の哲学―経済的諸矛盾の体系」です。
翻訳は出ていないのですが、その紹介論文を読んでいたら、こんなような趣旨の紹介文がありました。
価値には使用価値と交換価値の二つがあって、対立しあっている。使用価値の生産が倍増すれば、その交換価値は半減する。がんばって作ってもがんばった分だけ価値が下がる。プルードンは、こうした同じもののなかで価値が対立し合う謎を考えようとする。紹介者は鹿児島県立短大の齊藤教授です。
がんばって野菜を作りすぎてしまうと値段が暴落し、せっかくの野菜を破棄するようなことになります。
その場合、野菜を破棄することで、交換によって獲得する貨幣(交換価値)は増加するわけですが、野菜は破棄されますから使用価値全体は減少することになります。
齊藤さんはこう続けます。
この対立は生産物を生産者の視点で見るか、消費者の視点で見るかによるものだ。そして個々の視点ではなく全体の視点から見ると生産者と消費者はイコールだから、社会が豊かになるとは単純に生産物の量が増えることではない。つまり3つの視点があるわけです。
生産者の視点、消費者の視点、そして社会の視点です。
生産者にとっては交換価値が重要ですが、消費者にとっては使用価値が重要です。
社会の視点にとってはどうでしょうか。
そのどちらに重点を置くかで、その社会の性格が決まってきます。
経済優先社会は交換価値を、生活優先社会は使用価値を、それぞれ重視します。
日本は一時期、生活優先社会を目指すことが盛んに言われましたが、実際には経済優先社会の路線が続いています。
ですから豊作時に野菜は廃棄され、減反休耕が奨励されます。
そして、交換価値が高いほど商品の価値が高いという文化が広がり、交換価値手段である金銭を獲得する度合いで人間の価値が評価される社会になってきました。
経営学における企業価値さえも、その枠組みで決まりますから、その企業がどのような価値を創造しているかどうかなどは、二の次になります。
企業不祥事は、現在の経営学の発想に基づいて起こるべくして起こるわけです。
長々と書きましたが、大切なことは、
「使用価値の生産が倍増すれば、その交換価値は半減する」
ということです。
「価値」とはいったい何なのか。
経済成長とは何なのか。
プルードンの問題提起はとても魅力的です。
彼の「進歩の概念」も示唆に富んでいます。
「貧困の哲学」の翻訳が出版されるのを待ち望んでいます。
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