■節子への挽歌307:遠離 Pavivitta
日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ師の講話が評判のようです。
佐藤さんもぜひ読んでくださいと、若い友人が著書を持ってきてくれました。
「偉大なる人の思考」です。
偉大なる人とは、仏陀のことです。
スマナサーラ師は、スリランカの上座部仏教の僧侶で、上座部仏教の教義や瞑想を普及させる活動に取り組んでいます。
本を持ってきてくれた若い友人も、僧籍をもっているのですが、企業人に呼びかけて、最近、瞑想活動を始めたのです。
その本を読み出したのですが、第3章で止まってしまいました。
読む気がしなくなったのです。
というよりも、憤りを感じてしまったのです。
一時的な憤りかもしれないと2週間、頭を冷やして読み直しました。
怒りはなくなりましたが、やはり違和感があります。
そこで、この挽歌に書くことにしました。
第2章のタイトルは「遠離」(Pavivitta)です。
こう書かれています。
「遠離」とは「あれこれと束縛がない」という意味です。束縛がないことと関わりを持たないこととは違います。
関わりを持たないことなのです。
華厳経にあるインドラの網に象徴されるように、あるいは空即是色・色即是空に示されているように、関わりこそが仏教の真髄だと私は思っていますので、違和感が拭えないのです。
般若心経に「遠離一切顛倒夢想究竟涅槃」とありますが、これはすべての妄想(顛倒夢想)を打ち破って悟りの境地に入る、というように、「遠離」とは自由になるという意味であって、関わりを持たないというのとは全く違います。
関わりを持つとか持たないという段階では、まだ色即是空の境地にすら達していない、と私には思えます。
さらにスマナサーラ師はこう続けます。
子供がいるから楽しい。充実感があって、元気溌刺に生きていられる。だから幸福なのだ、と言えますね。そこで私は、「それはほんとにかわいそうなことですね」と言う。それは、子供に依存して楽しみを感じているからです。子供が自分に楽しみを与えているのです。その子供が亡くなったら、どれほど落ち込むことになるか、どれほど苦しむことか、知っていますか。自分の楽しみ、幸福を、子供に持っていかれるのです。かわいそうでしょう。とても違和感がありますが、さらにまだまだ続きます。
きりがないのでやめますが、こういう言葉がなぜ共感されて受け入れられているのかに、違和感をもつわけです。
伴侶に関しても延べられていますが、私には全くなじめません。
その章の最後はこうです。
ポイントは、誰にも依存しないことです。人がいないと寂しいとは、決して思わないことです。人々がいると楽しいとも、決して思わないことです。人がいてもいなくても、こころには揺るぎない安らぎがあるのです。人に依存しないで、執着もしないで、人々を助けてあげるのです。仏教徒はたとえ一人で生活しても、孤独ではないのです。私は、仏教徒を自認していますが、いささかの「ゆらぎ」を感じてしまいました。
私は妻に依存し、いまなお悲しんでいます。
煩悩の最中にいます。
しかし、決して、自分の楽しみ、幸福を、妻に持っていかれたとは思っていません。
むしろ、妻が与えてくれた「幸福」があればこそ、悲しみの中にも喜びがあります。
そして何よりも、妻はまだ私の暮らしの中にいます。
それこそが「遠離一切顛倒夢想究竟涅槃」であり、生きた安らぎではないかと思っています。
この本を持ってきてくれた若い僧と、また一度ゆっくりと話してみようと思います。
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コメント
佐藤様
四年ほど前だったか、スマナサーラ師に一度お目にかかった事があります。その前に、京都のNPO団体で、スマナサーラ師と同じ原始仏教の瞑想法を指導しているところがあり、そこに参加した経験があったので、違う指導者のセッションに関心があった為です。
場所は東大阪市の長栄寺という真言宗の寺院で、サンスクリット研究が欧州で始まる150年も前に、先駆けて原典研究を行っていた慈雲尊者なる学僧が住職を勤めていた由緒あるお寺でした。
話が脱線してしまいましたが、私もスマナサーラ師には非常に違和感を感じました。
日本語は非常に流暢なのですが、非常に上から目線のような感じがしたのです。
お話の内容も非常に意味がとりづらかったのと、横柄な態度に閉口して、二度とお会いすることはありませんでした。
これは私の個人的な印象に過ぎませんが、後に別の人からも似たような感想を聞かされたことがあります。
個人攻撃的な内容を書き込んでしまいました。
不適切なら削除して下さいませ
投稿: 濱口 | 2008/07/06 19:49
濱口さん
ありがとうございます。
私だけの受け止め間違いなのかなと思いながら書いてしまいました。
ちょっとした表現や話し方で、たぶん受け止め方は大きく変わるのでしょうね。
投稿: 佐藤修 | 2008/07/08 18:40