■節子への挽歌303:ドラえもんだった節子
節子
むすめたちとロールケーキをつくりました。
ケーキづくりは、節子が残してくれた文化の一つです。
先週末倒れてしまったジュンもだいぶ良くなりましたが、まだ完全ではなく、手があまり使えないので、私も参加したわけです。
節子もそうでしたが、みんな私に料理やケーキづくりを教えようとしますが、どうも私には不得手な世界です。
節子がいなくなってから、私も家事を少しずつ分担するようになりました。
そして家事の大変さを身体で感じています。
とりわけ料理が不得手です。
子どもたちが小さい頃、夏休みに節子が子どもたちと滋賀の生家に帰省する時は、いつも2~3日分の食事を私に用意しておいてくれましたが、それが尽きると後はほぼ菓子類と果物だけで過ごしました。
節子が戻ってくる頃は、餓死寸前でした。
それくらい料理は嫌いでした。
私は絶対に単身赴任はできないと思っていましたし、もしそうなれば躊躇なく会社を辞めたでしょう。
だから節子がいくら勧めても男の料理教室には行きませんでした。
嫌いなのは料理だけではありませんでした。
それを知ってか、身の回りのことは節子が本当に良くやってくれました。
私がいつも気持ちよく仕事などに専念できたのは、節子のおかげですが、
そのありがたさがほんとうにわかってきたのは、つい最近です。
季節が変れば、クローゼットの中身は自然に替わっていましたし、出張の朝にはすべてがきとんと準備されていました。
なにか必要なものがあれば、節子に頼んでおけば、手に入りました。
家庭内でこうなったらいいなという思いをちょっと口にすると、数日後にはそうなっていました。
節子は私にとっては、ドラえもんのような存在だったのです。
そのドラえもんの節子がいなくなってしまいました。
もし娘たちがいなければ、間違いなく私は路頭に迷ったでしょう。
ところで、ケーキはとてもうまく出来上がりました。
むすめたちは、お母さんのよりよくできたといっていますが、
私には節子のケーキの足元にも及ばないような気がします。
節子のケーキは、結構失敗作が多かったのですが、私にはいつも「絶品」でした。
もう一度、節子のケーキが食べたいです。
節子
ケーキを作りに戻ってきませんか。
今度はまじめに手伝いますから。
そして、出来が悪いなど、決して言いませんから。
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