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2008/07/07

■節子への挽歌309:完全に無防備な関係

昨日、自分の素直な思いを素直に話しても素直に聴いてくれる人が、周りに1人でもいれば、人はどんな苦境でも踏みとどまれます、と書きました。
そう書きながら、節子の顔を思い浮かべていました。
節子が私にとって、生きる力を与えてくれたのは、そういうことだったのだと気づいたのです。
昨日も書きましたが、素直になれるということは、無防備になれるということです。
無防備でいられるということは、癒されるということでもあります。
節子は私にとっては、究極の安息を与えてくれる存在だったわけです。

すべての夫婦が、そういう関係にあるわけではないでしょう。
私たち夫婦も、最初からそうだったわけではありません。
いろいろな事件もありました。
しかし40年も一緒に生きていると、その絆は親子よりも強くなります。
とても運が良かったのは、私たちは2人とも最初からそれなりに「素直」でした。
そして、お互いに適度の依存志向があったのです。
いいかえれば、自立心が弱かったということです。

相手に対して、お互い、素直になり無防備になると、とても生きやすくなります。
しかし、さまざまな価値観と利害がうずまく世間では、素直にも無防備にもなりにくいのが現実です。
そうした世間での疲れを癒してくれるのが、夫婦であり家族でした。
最近はそうした「家庭」の役割は失われ、夫婦も家族も安息の場ではなくなってきているのかもしれません。
それどころか、夫婦や家族にまつわる事件が増えているようにも思います。
いまや夫婦や家族といえども、素直で無防備になっていないのかもしれません。

かけがえのない夫婦、かけがえのない家族。
その世界での事件に触れるたびに、完全に素直になり無防備になれた節子とめぐり合えたことに感謝します。
相手に素直になれ無防備になれるということが、愛するということなのかもしれません。

私たちは、完全に無防備な関係でした。大互いに。
2人でいる時の無重力世界のような居心地の良さをもう体験できないことが悲しいです。

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