■節子への挽歌326:エキザカム・バイオレットの節子
節子
今年の夏も暑いです。
挽歌を書いている私の部屋にはクーラーはありません。
暑いと頭がまわりません。
暑さに負けるようでは、節子への私の思いも危ないですね。
今日は昨日オフィスに持っていったエキザカムのことを書きます。
節子は30年ほど前に、とても優雅なヨーロッパ旅行をしてきました。
ハウス食品の懸賞論文に入選したご褒美でした。
浜美枝さんと一緒の食文化の旅でした。
その時に、スイスで宿泊したホテルの出窓に、このエキザカムが咲いていたのだそうです。
私も、節子とは別に、ユングフラウには行きましたので、たぶん似たような風景を見ています。
私の場合はそれだけの話ですが、節子はその花をずっと覚えていたのです。
そして日本に帰ってきてから、その花を探し当てたのです。
今では花屋さんによく見かける花ですが、その時はまだめずらしかったのかもしれません。
もっとも本当にそうかどうかは危ないところがあります。
節子と一緒にトルコのベルガモンに行ったときに、遺跡の周りにきれいな赤い花が咲いていました。
そのタネをこっそりと持ってきて自宅の庭に蒔きました。
芽が出てきて、ベルガモンで見たままの花が咲いたので2人で大喜びしました。
当時、私はギリシアの会をやっていたのですが、そのメンバーにもおすそ分けしました。
ところが、その少し後に、近くを散歩していたら、なんとその花がいっぱい道の横に咲いているのです。
よくよく見たら、よくある花でした。
まあ、そんなこともありますから、節子の花の知識はさほど信頼はできません。
それはともかく、エキザカムはわが家ではそれ以来、よく見るようになりました。
事務所にまた花を置きたいと娘に話したら、娘が選んできたのがこのエキザカムでした。
お母さんが好きだった花だから、というので、改めて節子が好きだったことを知りました。
実は、この花と節子とは、私のイメージの中でも重なります。
エキザカムの花の紫色のセーターか服を節子は着ていました。
節子のファッションセンスは、ちょっと私のセンスには合いませんでしたが、時々、私の好きな服を着ることがありました。
その一つが、たしかこの色でした、
この小鉢を見ていると、節子の笑顔が浮かんできます。
娘が、この花を選んでくれたことに感謝しています。
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