■節子への挽歌312:時々ふと、そばにいる気配を感じます
節子
最近、また節子にとても会いたい気持ちが高まっています。
たぶん現世では会えるはずはないのですが、頭のどこかで、きっとまた会えるという確信のようなものが依然として残っています。
愛する人を失った人は、きっとみんな同じなのだろうと思います。
その確信があればこそ、愛する人がいない現世を生きていけるのかもしれません。
私よりも数年前に伴侶を見送った高崎のTYさんのメールをなぜか思い出しました。
節子を見送ってから何通かのメールをもらっていました。
読み直してみました。
いろいろなことに気づきました。
改めてメールを読んで、TYさんの心遣いの深さに気づかなかったことがたくさんあったことにも気づきました。
当時はきちんと受け止められていなかったのです。
TYさんは、夫の存在を実感できると書いていました。
誰もいないのに空気が動いたり、足音が聞こえます。こうも書いています。
体調が悪いときはすごく嬉しくなります。
時々ふと、そばにいる気配を感じます。最近、私もそう感じます。
良いことがあったときは、写真が微笑んでいます。
子どもたちにも見えるそうです。
時間の経過とともに、逆にそうした感じが強まっている気もします。
思いの強さが、そうさせているのかもしれません。
TYさんは、ご自身の体験を踏まえて、いろいろと私たち家族を気遣ってくださいました。
1年近くたって、そのことにやっと気づくとは恥ずかしい話ですが、そうした不義理をたくさんしているのでしょうね。
TYさんはこうも書いてきてくれていました。
佐藤さんそうやっていただろうか、いささか不安です。
ゆっくりゆっくり歩いてください。
節子様が、いま佐藤さんにしていただきたい事を、メッセージを送ってこられると思います。
節子様との楽しかったこと、良かったことをお話して下さい。
ポジティブなお考えの持ち主に心配かけないように・・・・
心おきなく旅立たれるようにとお祈りしております。
TYさんからはお手紙も何回かもらっています。
そういえば、当時もらったいろんな人たちからの手紙もきちんと消化しないままになっているのかもしれません。
節子を見送ってからの半年は、「心ここにあらず」だったのかもしれません。
少しずつ当時の手紙やメールを読み直してみようかと思います。
きっと節子はそれを望んでいるでしょう。
節子はそれなりに義理を大切にする人でした。
ちゃんとやらないと怒られてしまいます。
ちなみに、いま気づいたのですが、節子の位牌壇のそばにTYさんの手づくりのテディベアがいます。
TYさん
ありがとうございました。
TYさんの少し後ろを追いかけながら、私も活動を回復させていくようにします。
| 固定リンク
「妻への挽歌02」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌399:節子を見送った後、初めて湯河原で朝を迎えました(2008.10.04)
- ■節子への挽歌396:習字の仲間が来てくれましたよ(2008.10.01)
- ■節子への挽歌398:秋の箱根は、無性に悲しかったです(2008.10.03)
- ■節子への挽歌395:マリーがよろこばないから(2008.09.30)
コメント