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2008/07/09

■節子への挽歌311:節子さんがいないせいか家が小さくなりましたね

節子
今日は河島さんご夫妻が献花に来てくださいました。
早くきたいと思っていてくださったようですが、人生はいろいろあります。
ご主人が1か月ほど入院されていたそうです。
ご主人は昔気質の江戸っ子ですが、昔から粋なおとぼけジョークが好きなのです。
それが歳とともに、もっと自然になって、磨きがかかりました。
いささかプライバシーにも関わるので、書くのをやめますが、今日はもう大爆笑の事件が起こったのです。
きっと帰宅後も河島夫妻は笑い続けていたことでしょう。
ハンマーカンマーにも勝る、実におかしなやり取りが展開したのです。
具体的に書けないのがちょっと残念です。
人は素直に老いると、楽しい存在になることを改めて知りました。

奥さんは油絵をやられていますが、
この度、自宅を改造してなんと16畳のアトリエをつくったのだそうです。
節子もちょっとだけ油絵をやっていましたが、河島さんの足元にも及びませんでした。
私も時々、節子と一緒に河島さんの展覧会を見に行ったことがあります。

ところで奥さんがわが家に入ってくるなりこう言うのです。
「節子さんがいないせいか、何だか家が狭くなったようね」
意外な言葉です。
節子がいなくなった分だけ、少し寒々し、むしろ広くなったと思っていたのですが、
河島さんのその言葉にハッとさせられました。
そうか狭くなってしまったのだ。
たしかにそういわれるとよくわかる気がします。

家は単なる物理的な空間ではありません。
そこに住む人と一緒に生きています。
節子がいることで、家の暖かさや華やかさがあり、それが空間の広がりをつくっていたのでしょう。
節子がいなくなったいま、わが家の空間も少し元気をなくし、萎縮しているのかもしれません。
目から鱗の発言でした。

もっと元気で華やかで、広々した家にしなければいけません。
せっかく、節子が選んだ場所に、節子の思いも入れて建てた家です。
節子を失望させないように、家が小さくならないようにしようと思いました。
どうすればいいのかは、まだわかりませんが。

帰り際に河島さんたちが言いました。
散歩で時々、お墓にも行かせてもらいます。
仲の良いお2人を見送りながら、
私たちもきっとあんな夫婦になったのだろうなと思ったら、急に涙が出てしまいました。
節子
やっぱり節子に会いたいです。

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