■節子への挽歌310:節子を守護する大日如来が生まれつつあります
節子
節子の一周忌を目指して、大日如来に来てもらうことになりました。
私ではなく、娘のジュンの発願です。
わが家の仏壇にはまだ仏様がいませんので、節子の位牌が中心です。
落ち着いたら、ジュンが仏像をつくることになっていたのです。
10回目の月命日に当たる今月の3日に、大日如来像づくりが始まりました。
テラコッタの塑像です。
わが家は真言宗なので、大日如来。
印相は智拳印にしました。
節子と最初に奈良を歩いた時に、阿弥陀仏の九品来迎印を話題にしたのを思い出します。
初めてのデートの話題にはあまり相応しいとは思いませんが、なぜか節子はそれを真剣に聴いてくれました。
ちなみに、私たちのまわりには、なぜかいつも「ほとけたち」が居たような気がします。
いつかそのことも書こうと思います。
阿弥陀如来は信仰の程度によって、衆生を9つに分けます。
そして、阿弥陀如来は臨終の人を迎えに来る際、その人にふさわしい印を示すとされています。
節子の場合は、どの印で迎えに来たのでしょうか。
その時は、節子を呼び戻すのに夢中で、阿弥陀仏など全く思いもしませんでした。
もしかしたら、阿弥陀仏と節子の取り合いをしていたのかもしれません。
勝てなかったのが残念です。
それにしても、阿弥陀はなぜ人を分けるのか。
今では深く考えるでしょうが、節子に会ったころは、そんなことよりも仏像に関するわずかばかりの知識をきっと節子にひけらかすのに夢中だったのでしょう。
そのせいか、節子は私の「物知り」発言に幻惑され、その後、長く私は何でも知っていると思い込んでいました。
しかし、だんだんとそれが間違いであり、私が単なる「知ったかぶり」でしかないことに気づきました。
私の知識のいい加減さもばれてしまい、人生後半は、「はいはい、そうですか」と聞き流すようになりました。
ただ、私の思いから出てくることには、いつも真剣に耳を傾けてくれました。
仏像はいま乾燥中です。
ひびが入らなければいいのですが。
乾燥したら、焼成します。
開眼の日には私に目を入れさせてくれることになっています。
節子
もう少し待っていてください。
ジュン風の、ちょっと楽しい、しかし素直な仏が誕生します。
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