■お客様にお茶を出す文化がなくなりました
最近、会社などを訪問しても、お茶がでることが少なくなりました。
会議などでも出てくるのは、ペットボトルや缶のお茶などのことが多いです。
珈琲もスターバックスのようなところからのプラスチック容器のものが増えています。
人手がかかるのを避けるためのことでしょうが、私自身はそうした動きをとても残念に思っています。
私が会社に入った頃は、来客には女性社員がお茶を出す文化がありました。
しかし同時に、「お茶汲み仕事」という言葉があり、それが女性差別ではないかという議論もありました。
そして女性ではなく、男性も含めて自分でお茶を入れるようになり、自動販売機のようなものがオフィスにまでは入ってきました。
当時、私は企画調査部という経営参謀スタッフ的な職場にいました。
しかし、その職場で最も価値のある仕事は女性社員の「お茶汲み仕事」ではないかと考えていました。
その種の話を女性社員に話しましたが、あんまり賛同は得られませんでした。
私よりも年上の優秀な女性社員からすれば、女性蔑視の考えだったようです。
しかし、現場を離れた男性たちのやっている仕事への価値をあまり認められず、逆に人をつなぐお茶の効用を高く評価していた私としては、お茶を出す文化は維持してほしかったですが、残念ながら職場から次第にお茶汲み仕事はなくなっていきました。
大げさに聞こえるかもしれませんが、それが日本企業がおかしくなっていった契機だったような気がします。
つまり、価値基準が変わってしまったのです。
私のオフィスは湯島にあります。
来てくださった方はご存知でしょうが、来客者には必ずお茶か珈琲を出させてもらいます。
話に夢中になって、出し忘れたことがないわけではありませんが、たぶんこの20年で10回もないはずです。
妻がいる時には妻が用意してくれましたので、お茶が多かったですが、私一人のときは、お茶が難しいので珈琲でした。
夏も以前はペットボトルではなく、手づくりの麦茶などでしたが、妻があまり来られなくなってからは、意に反してペットボトルを使うようになってしまいました。
紙コップさえつかうこともありますが、極力、それは避けています。
お茶を出す文化。
この文化の意味を、もう一度、考え直したいと思います。
それは同時に私たちの生き方や仕事の価値関係を考えることになるはずです。
ちなみに、私のホームページのブックのコーナーで紹介しましたが、
一条真也さん監修の「茶をたのしむ」は含蓄に富んだ本です。
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