■豊かな社会と生きる力
富士ゼロックス社の社外報「グラフィケーション」に連載されている、結城登美雄さんの「列島を歩く」は、毎回、とても興味深く、楽しみにしている記事です。
結城さんとは、ローカルジャンクション21というNPOでご一緒なのですが、最近、そのNPOも活動がちょっとストップしていて、お会いするチャンスがないのが残念です。
今月号では、北海道川上町で農業に取り組んでいる若者を紹介しています。
その若者の言葉が印象的でした。
「豊かな時代に育ったからでしょうか、僕は生きる力が弱いと思う。僕のじいさん、ばあさんは強かった。何でも自分で作り、あんなに働いても愚痴を言わなかった。僕もそんな力を身につけたいです」豊かな時代に生きると「生きる力」が弱くなる。
そうだと思う一方で、どこかおかしいという気もします。
人の生きる力を育てない社会は、豊かな社会といえるのか。
以前、「元気工場型すまい研究会」というのを始めたことがあります。
1年足らずで頓挫してしまいましたが、日本でバリアフリーとかユニバーサルデザインが話題になりだした頃です。
私は、そうした流行に違和感を持っていましたので、それに少し異議申し立てをしたい気もありました。
これからの住宅は、そこで住んでいることで元気が出てくるような住宅を目指すべきで、バリアフリーとかユニバーサルデザインに留まっていてはいけないという思いがありました。
この発想は、今でも間違っていないと考えています。
最近の若者たちの不条理な犯罪は、豊かな社会の結果でしょうか。
そうではないでしょう。
貧しい社会の象徴です。
豊かな時代に生きているから生きる力が弱まったのではありません。
生きる力が育たなかったとしたら、それはその社会が豊かではないからです。
つまり今の日本の社会は、とても「貧しい」のです。
にもかかわらず、豊かな時代だと思い込んでいるとしたら、それは私たちの感覚がきっとおかしくなっているのです。
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