■節子への挽歌325:湯島のオフィスにまた節子が戻ってきますように
湯島の私たちのオフィスも、必ず生花が飾られていましたが、
節子が行けなくなってからは生花ではない人工の花になりました。
オフィスのドアを開けた時の雰囲気が全く違います。
毎回、もう節子はいないのだと実感します。
だから湯島に行くのは、それなりに勇気が必要なのです。
最近、湯島に行く回数が減ったこともあって、ベランダの植物も元気がありません。
節子があまりいけなくなってからは、手入れの簡単なものだけにしていますが、それらも最近の酷暑のせいか元気がありません。
それに私はどうもこまめに掃除するタイプではないので、
最近は見た目もいささか汚くなっています。
これには節子も失望しているかもしれません。
室内の鉢物はもう全滅ですし、ベランダの鉢もいまや5つしかありません。
ですから手入れというほどのこともないのですが、問題は「思い」を向けているかどうかです。
節子は、いつもオフィスに来ると、最初に鉢の草花の手入れをしていました。
花への思いが私とは全く違うのです。
節子がいつ戻ってきてもいいように、少し草花の手入れをしようと思い直しました。
今日、枯れてしまっていた葉を整理しました。
節子が好きだったエキザカムの小鉢も机の上に置くことにしました。
オフィスの雰囲気が、ちょっとだけ変わりました。
そういえば、オフィスを開いた時は、観葉植物がいろいろとありました。
見事なブーゲンビリアが長いことその真ん中にあったのを今も覚えています。
私たちの寝室に湯島のオフィスを開いた時の写真が貼ってあります。
仲間たちから贈られたたくさんの花に囲まれて、
まん丸に太った節子とまだ疲れてしまっていない私が並んで撮った写真があります。
当時の湯島のオフィスは「気」に満ちていました。
実にさまざまな人たちが集まりました。
だから実にさまざまな人たちが集まってきました。
しかし、いまはその「気」が消えてしまっています。
節子には不満でしょうね。
また湯島に「いのち」を少しだけ戻そうと思います。
そうすれば、節子もまたきっと戻ってきてくれるでしょうから。
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