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2008/07/11

■若者たちに未来を託すための若者塾

いろんな分野の人たちと会う生活に少しずつですが、戻りだしています。
私はこの20年、できるだけさまざまな分野の人たちと関わりたいと思い、
いわゆる3つのセクター(企業、行政、NPO)の分野と均等にお付き合いすることを心がけています。
この数年、少し自宅に引きこもりがちでしたが、
最近、それぞれの分野で活躍する若者たちと会う機会がまた増えています。
彼らに会うと、元気をもらえます。
しかし、いささかの苛立ちも感じます。

彼らと話していて痛感するのは、人生の選択肢が増えていることです。
あるいは、自分の人生を決めるための時間に余裕があるということです。
それが恵まれていることであり、幸せだなどと言うつもりはありません。
時間があり、選択肢が多いということは、それなりに苦労が多いはずです。
しかも、それにもかかわらず、人生を指南してくれる人やモデルにできる人は減っているようです。
たしかに、テレビや新聞雑誌で、生き方のモデルにしたいような人の話はよく取り上げられますが、
それは多くの場合、創られた虚像であり、実際に触れ合える身近な人ではありません。

大学の先生もあんまり相談に乗ってくれていないようにも思います。
私がもし学校の先生だったら、生徒との関係はこうなるだろうなと思う構図はあまりみかけません。
お互いに信頼しあっていない気さえします。
その責任は、制度に縛られがちな教師のほうにあることは言うまでもありません。
無責任の大人が多すぎるのも問題です。
言い過ぎかもしれませんが、偽物が横行しすぎています。
まあ、私もその1人かもしれませんが、若者への愛情にかけては、少しは自負があります。
能力が追いついていないのが問題ですが。

若者を愛する文化。
近代化、あるいは産業化が、個人をばらばらな存在にしてしまったためでしょうか、
そうした文化が消えてしまっているような気がします。
しかも、自己責任などという洗脳を受けたせいでしょうか、
社会との関わり方を見失っている若者が増えていますし、
心理主義の罠に陥ってしまい、悩んでしまっている若者もいます。
若者たちと話していると、今の時代の実相がいろいろと見えてきます。
そして、それに対する彼らの受け止め方も感じられます。
無力感に陥っている若者も多いかもしれませんが、社会を変えたいと思っている若者は決して少なくありません。
私たち世代の生き方を、反面教師として、自らの生き方を切り開こうという意識を持った若者にも出会います。
しかし、残念ながら、その多くは挫折していきます。
そして皮肉なことに、挫折が今様な基準では「成功」であることも少なくありません。

私たち世代ができることは何でしょうか。
いえ、私ができることは何か。

いつものことながら、思いつきで短絡的なのですが、
若者たちが集える場所をつくろうかと思っています。
思いと悩みを持っている若者たちが気楽に心開けるサロン。
そんなサロンができればと思っています。
もし関心のある若者、もしくは自称若者の方がいたら、私にメールをくれませんか。
一緒にそんなサロンをつくりませんか。
悩みが多く、自立もできずに、素直に話をし合える仲間がいない人ほど歓迎です。
もちろんそうでない人も歓迎ですが、ほとんどの人はきっとそうでしょう。
私のオフィスが湯島にありますので、そこで先ずは気楽なサロンをスタートさせられればと思います。

よかったらご連絡ください。

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